君が代、歌詞みないで歌える?
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世界一短い国歌である君が代。
ひらがなで書いてみる。
きみがよは
ちよにやちよに
さざれいしの
いわおとなりて
こけのむすまで
短歌の五・七・五・七・七調で、三行目が字余りの六なので、32音である。
一応文節で改行してあるが、これでは意味が解りにくいので、漢字仮名交じり文にする。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巖となりて
苔のむすまで
この君が代が国歌として制定されたのは1880年(明治13年)であり、その時に曲が付けられました。
詩は、古今和歌集の短歌の一つであり、この古今和歌集が完成したのが912年(延喜12年)とされており、1100年以上前に作られた歌でもある。
但し、その時の詩は、「君が代」の部分が「我が君」でした。
それが鎌倉時代になると、ほとんどが「君が代」で詠まれるようになったようです。
我が君とは、女性が男性に対して使う、つまり恋文(ラブレター)だとも解釈できます。
これでは、男性は詠めないので、「君が代」と変わったとも言われています。
国歌と制定されてからは、君=天皇とされています。
さて、代という漢字が3回も登場します。
この漢字は、身代、時代、世代、などなどの熟語からも分かるように、「君が代」は「天皇の御代」、つまりは日本国というところまで解釈を広げることが出来ます。
「千代に八千代に」を直訳してしまうと、千年に八千年にと、なってしまいますが、江戸八百八町や京都八百八橋などからもわかるように、日本に置いて八という数字は、数え消えれないほど多いことや、八という漢字の形から末広がりを意味している。
「さざれ石」とは、細石と書き、もともとは小さな石のことだが、長い年月を掛けて、石灰石が雨水で溶け、隣り合う小石を繋ぎ埋めていき、一つの大きな塊となったもの、つまり石灰質角礫岩であり、「巖となりて」となる。
「苔のむすまで」は、苔が生え揃うまでにはかなりの年月を有する。
つまり、「君が代」以降は、とても長い時間経過を表しており、
さざれ石が巖になるは、時間経過だけではなく一致団結を
苔がむすまでは、時間経過だけではなく子孫繁栄を
表していると私は解釈しました。
解釈は人の数だけあって然りなので、この解釈が正しいとか正しくないとかそういうことではないので、あしからず。
世界一短い国歌である君が代。
ひらがなで書いてみる。
きみがよは
ちよにやちよに
さざれいしの
いわおとなりて
こけのむすまで
短歌の五・七・五・七・七調で、三行目が字余りの六なので、32音である。
一応文節で改行してあるが、これでは意味が解りにくいので、漢字仮名交じり文にする。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巖となりて
苔のむすまで
この君が代が国歌として制定されたのは1880年(明治13年)であり、その時に曲が付けられました。
詩は、古今和歌集の短歌の一つであり、この古今和歌集が完成したのが912年(延喜12年)とされており、1100年以上前に作られた歌でもある。
但し、その時の詩は、「君が代」の部分が「我が君」でした。
それが鎌倉時代になると、ほとんどが「君が代」で詠まれるようになったようです。
我が君とは、女性が男性に対して使う、つまり恋文(ラブレター)だとも解釈できます。
これでは、男性は詠めないので、「君が代」と変わったとも言われています。
国歌と制定されてからは、君=天皇とされています。
さて、代という漢字が3回も登場します。
この漢字は、身代、時代、世代、などなどの熟語からも分かるように、「君が代」は「天皇の御代」、つまりは日本国というところまで解釈を広げることが出来ます。
「千代に八千代に」を直訳してしまうと、千年に八千年にと、なってしまいますが、江戸八百八町や京都八百八橋などからもわかるように、日本に置いて八という数字は、数え消えれないほど多いことや、八という漢字の形から末広がりを意味している。
「さざれ石」とは、細石と書き、もともとは小さな石のことだが、長い年月を掛けて、石灰石が雨水で溶け、隣り合う小石を繋ぎ埋めていき、一つの大きな塊となったもの、つまり石灰質角礫岩であり、「巖となりて」となる。
「苔のむすまで」は、苔が生え揃うまでにはかなりの年月を有する。
つまり、「君が代」以降は、とても長い時間経過を表しており、
さざれ石が巖になるは、時間経過だけではなく一致団結を
苔がむすまでは、時間経過だけではなく子孫繁栄を
表していると私は解釈しました。
解釈は人の数だけあって然りなので、この解釈が正しいとか正しくないとかそういうことではないので、あしからず。