日記の日だからブログを書こう!
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日記の日とかって、日記の日だから日記を付けるというのは変でしょう。
日記は、日々の事を記すから日記なんであって、日記の日だけ日記を書くなんてのは、日記ではないような気がする。
さて、インターネット創生期の頃、自分のページを持つということは、プロバイダと契約したり、レンタルサーバーを持ったり、自分のドメインを作るなり、サブドメインを貰うなり、…
自分の発信拠点となるページをホームページなどと呼び、ホームページを持っていることはステータスであったりもした。
そこから数年して、weblog、つまりブログが流行りだす。
ブログは、インターネット上の日記のようなもので、日々の出来事の発信をしたりするものということで定着した。
芸能人がブログを持って、日々の生活や仕事の他愛も無い出来事を書き込むことで、芸能人を身近に感じる道具ともなっていく。
weblogは、webとlogという二つの単語の合成である。
webは蜘蛛の巣、logは丸太という意味である。
webをwaveだと勘違いしているひともたくさんいた。
どのようにして、丸太から日誌に言葉の意味が変化したのか。
大航海時代、船の現在地を航海日誌に記したのはいうまでもない。
その航海日誌をlogないしlogbookと呼ぶ。
なぜ、航海日誌がlogなのかというと、日誌には、日付とある程度正確な緯度、経度、進路、速度を記す必要があった。
当時の技術でどうやって速度を測ったかというと、一定間隔で結び目を作ったロープの尖端に丸太を結び海に流し、時間とともにどれだけの結び目が出て行くのかを数えたのである。
こういう事柄から、航海日誌をlog(ログ)、船の速度の単位を結び目という意味のknot(ノット)と呼ぶようになったのです。
なので、logの意味に丸太や航海日誌といった一見なんの関係性も見えないものが含まれているのです。
コンピュータのOSは複数のプログラムがマルチに動いているような状態である。
それぞれのプログラムは、自身の行動のログを吐き出しながら行動する。
なにかトラブルがあれば、様々なプログラムが吐き出したログを人間の目で解析して、問題箇所を特定する。
かっこ良く言えば、トラブルシューティングだ。
別にトラブルシューターになりたかったわけではないのだが、古くからパソコンをやっていたせいでか、そういう仕事が私のところに多く集まるようになっていた。
自分は内勤も外回りもやった。
外回りをやっていたころは、スケジュールは会社のdbに入っているから、電話を入れて、スケジュールの終了報告などを行うことも可能ではあった。
当然、作業報告は、自分自身で行わなくてはならない。
なにせ、技術的な話であるから、そのノウハウをナレッジベースに構築する必要がある。
自分自身の出退勤などのログは、外資系だったからか、タイムカードというものがなかったので、完全に自己管理である。
実際に現場に出ていれば、作業開始および終了時刻が残るので、仕事をしていた証明にはなる。
しかし、仕事し過ぎだから休めというようなことは、直属上司から言われるとすると、週一のミーティングくらいだろうか。
月150時間残業なんてこともあったような気がする。
まぁ、内勤の月150時間残業ではなく、外回りは移動時間も業務となることがある。
ハードウェアの修理には、一般的な工具だけではなく、特殊な形状のドライバなどが必要だったり、ハードウェアの交換には、ファームウェアといったものを最新にしたり、もしくは元のファームウェアと同じバージョンにしなければならなかったりと、CD-ROMも大量に持ち歩かなければならなかったり、外部のパソコンを使ってアップデートしたりと、とにかく荷物が多い。
飛行機での移動なんてことも結構あって、私は東日本担当だったので、北海道に行く確率が非常に高かった。
西日本は、広島や大阪に数えるほどしか行ってないかな。
飛行機に搭乗するには、工具カバンは厄介であり、手荷物として機内に持ち込めない。
荷物を預ける際、重量計の上に載せるので、見ると9kgとかあったのを記憶している。
あんな重いものを片手に持って、ノートパソコンは別に持って、ってなんというガテン系な仕事だろうかw。
電車や飛行機での移動もあるのだが、社有車に乗って移動ということもある。
都内23区の24時間サポートの頃は、通勤は社有車で、工具や修理用パーツを車に積んでの移動となる。
車で日帰りでの一番遠いところは長野まで行ったかな。
若いから出来たことだと今になって思う。
こういう業界には繁盛期や閑散期といった波はないのである。
トラブルは24時間365日休みなく起こる。
サポートする人間の数は限られている。
トラブルが起こるのは何も新しい機器だけではない。
新人は最新機器のトラブルシューティングは出来ても、古い機器に関してはトレーニングや実戦経験がない。
自分たち世代が導入した機器のサポートが切れるまでは、自分自身も現役のエンジニアとし残らなければならないというのは、こういうことなんだろう。
自分にしか出来ないということは、ある意味武器なんだが、自分の首を絞める諸刃の剣にもなりうる。
そうなりたくなかったから、作業マニュアルやらパワポの資料を作っては、エデュケーションを全国展開したりかなり勝手なことをやった。
結果、自分の仕事を減らしたことが、会社をやめるきっかけにもなった。
あのときに身につけた技術は、今となってはまったく使い物にならない技術である。
簡単に言えば、メーカー独自のツールの使い方だったりとか、つぶしが利かない技術ってことです。
私の手に残ったのは何だったんだろうか。
なんか虚しいな。