調査のため、随分間があいてしまいましたが、プラモデル関連の穴が続きますw。
2006年8月6日に開けられた穴。
王貞治のプラモデル
およそ35年物の穴です。当時のプラモデルは、シリーズで出て、箱の横に、シリーズの絵があった。
近所のデパートのプラモデル売り場で見かけた、王貞治選手のプラモデル。
野球に興味のなかった私は、「へぇ~、こんなプラモデルもあるんだ」と思っただけで、すぐに賞品を棚に戻してしまいました。
それ以来、王貞治のプラモデルを見たことはありません。
これは、どこのメーカーが出していたものだったのでしょうか?
他の選手のプラモデルもあったのでしょうか?
ご存知の方は、教えてください。
こんな変なプラモデルもありましたよという情報も求める。
翌週の2006年8月13日に解決編。
変わったプラモデルの情報が届く。
情報1
私は子どもの頃、人体模型のプラモデルを作ったことがあります。伊集院さんから、小便小僧のプラモデルの話しが出てくる。
それは体の中が透けて見えるものでした。
今考えると、保健や生物の学習にも役立つプラモデルのような気がしますが、完成した姿が気持ち悪くて、部屋に飾れなかった事を覚えています。
情報2
変わったプラモデルと言えば、僕はエリマキトカゲのプラモデルを見たことがあります。伊集院さんから、同じシリーズであれば、コアラもゼンマイを使ったはずという話しをする。
確か、ゼンマイかモーターで走るものだったと思います。
動物シリーズだったようで、コアラなどもあった。
情報3
僕は相撲取りのプラモデルを作ったことがあります。伊集院さんから、ロボダッチのスモウロボの話しが出る。
しかしそれは、ある特定の力士をモデルにしたものではなく、漠然と横綱が土俵入りしている姿を再現したものでした。
もしかすると、王選手のプラモデルも、王選手をモデルにしたものではなく、たまたま王選手に似ていたプラモデルだったのではないでしょうか?
スポーツシリーズで、野球ロボの話しも出てくる。
あの野球ロボを王選手だと思い込んでたとしたら…?
情報4
私は友達の原田くんの家で、王選手のプラモデルらしきものを見たことがあります。伊集院さんは、ロボダッチ説が広がっていたが、野球ロボは六本足打法だったとか、かなり勘違いをしている模様。
一本足で構えているものだったのですが、実際に手にとって見たわけではないので、それがプラモデルだったのか、フィギュアのような人形だったのかは、定かではありません。
ただ、持ち主の原田くんは、プラモデルだと言っていたと思います。
情報5
私はプラモデルコレクターなのですが、数年前ネットオークションで、王選手の組み立ててないプラモデルを見たことがあります。伊集院さんいわく、マニアは組み立ててないプラモデルを集めるという。
私のコレクションは車が中心なので、王選手のプラモデルには手を出しませんでした。
情報6
王選手の模型ですが、間違いなくありました。このことから、安いプラモデルだったと推測された。
もちろんメジャーなものではなく、数点のパーツを付けるだけで完成というものだったと思います。
完成すると、ちゃんと一本足打法の王さんが完成します。
私は雑誌で完成品を見たのですが、それほどリアルではなかったと思います。
情報7
私も子どもの頃、王選手のプラモデルを見た記憶があります。マルイに電凸する。
おもちゃやさんで見ただけなので、買わなかったのですが、とても印象に残っています。
このプラモデルは、モデルガンなどでお馴染みのマルイの商品だったと思います。
マルイ広報の諸岡さんにお話しを伺う。
情報8
残念ながら、このプラモデルに関しては、社内には情報がない。マルイの社長にお話しを伺う。
情報9
王選手のプラモデルは覚えている。
昭和43年ごろに販売したらしい。
値段や販売個数は覚えていないんですけど…
プラモデルの営業で大阪に行った時に、「よくこんなものを大阪で売ろうと思ったな」と言って殴られそうになった事を覚えている。
資料は残っていないが、現物は1個残っている。
貴重なものなので、借りることが出来なかったが、画像を送って貰った。
マルイ ゴールデンマスコットシリーズ No.3
第三弾なの?ってことは、第一弾、第二弾ってあるわけだよね。
ゴールデンマスコットシリーズ、他に何があったのか、情報を求めた。
確かに王選手のプラモデルはありました。
マルイという会社から出ていた、ゴールデンマスコットシリーズの第三弾で、円形の台座の上で、一本足打法の一本足で立っている王選手という商品で、昭和38年に発売されておりましたということで、ほぼ解決であります。
と締めた。
CMまたぎで、まだプラモデルの話題は尽きず。
エリマキトカゲの動物シリーズのもう一つはラッコだった。
ゼンマイで本物そっくりに走るとあるが、ラッコは走らねーだろ。とつっこむ。
伊集院説、金田、長嶋、王なら3番目でも、…、それなら王が1で、長嶋が3なら、と妄想する。
阪神に選手は作ってないだろうw。
アマガエルとトンボとかのシリーズが好きだった、
ここからが再考。
前回、ロボダッチの仲間たちを再考したが、あの放送が2003年2月で、約3年半の月日が経っているが、以前ロボダッチの穴を解決まで導けなかったからか、過去の穴すらなかったものとされてしまったのだろうか。
まず、王選手のプラモデルを、私自身も見た記憶があるが、宇宙戦艦ヤマトやガンダムの頃だったと記憶している。
また、番組において、マルイの社長の記憶もあることや、現物もあったことは、存在は確定なのだが、いかんせんラジオであるからして、リスナーには絵に描いた餅であった。
今の時代、ラジオのオフィシャルページなんてものもあるし、ツイッターなどで画像を広めることも出来る。
また、「王貞治 プラモデル」というキーワードで画像検索すれば、簡単に見つけることが出来てしまう。
マルイのロゴもあり、確証を高めることも出来るだろう。
箱上部には黄緑色で、MARUI GOLDEN MASCOT SERIES NO.3とある。
これが未解決のままだったところである。
他の角度からの写真があれば、王貞治以外の情報も解る可能性もある。
「ゴールデンマスコットシリーズ」とカタカナで検索を掛けてみたところ、
巨人の星 NO.2 バッティングマスコットというものが見つかり、そこからNO.1はピッチングマスコットでゴールドトロフィー付という更なる情報を得る。
NO.1が星飛雄馬のピッチングマスコット、NO.2が星飛雄馬のバッティングマスコット、NO.3が王貞治という流れに違和感を感じてしまう。
これがもし、巨人の星という劇中の王貞治であるならまだしもである。
それならば、星飛雄馬はピッチャーがメインであって、バッターとしての開花は、新巨人の星以降の話しで、バッティングマスコットならば、花形満や左門豊作やアームストロング・オズマで良いはずである。
また、ピッチングマスコットについては、劇中では大リーグボール1号、2号、3号とあったわけで、それぞれの投球フォームの違いなどでシリーズ化しても良かったかもしれないはずである。
さて、箱の写真があるので、もう少し良く見てみる。
箱は横向きで、左に右打者の花形満、右に左打者の星飛雄馬が描かれており、上部には黒で「MARUI GOLDEN MASCOT SERIES NO.2」、その下に大きく水色で「巨人の星」、その下に黄色で「星飛雄馬バッティングマスコット」とある。
箱の側面の画像では、「NO.1 ピッチングマスコット」で、左門豊作と星飛雄馬の絵があることも見受けられる。
私が目をつけたのは、型番らしき番号「MT47-250」である。
今度は「マルイ 巨人の星」というキーワードで画像検索してみると、
箱絵が異なるものがピッチング、バッティングともに3種類見つけられる。
マンガ調で川崎のぼる色が強いピッチング、バッティングを、マンガP、マンガB、
アニメ調の左門豊作、花形満の描かれているものを、左門P、花形B、
アニメ調の星飛雄馬のみ描かれたものんおピッチング、バッティングを、アニメP、アニメB、
とする。
箱 | 箱表面 | 中身 | |
マンガP | 縦 | 表:PITCHING FORM MASCOT 星飛雄馬ピッチングマスコット 〈GOLD優勝カップ付〉 \250 | 取説:星飛雄馬ピッチングマスコット? 帯:デラックスマスコットシリーズ? 優勝カップ:金メッキ? |
マンガB | 縦 | 表:BATTING FORM MASCOT 星飛雄馬バッティングマスコット 〈GOLDトロフィー付〉 \250 | 取説:星飛雄馬バッティングマスコット 帯:デラックスマスコットシリーズ トロフィー:金メッキ |
左門P | 横 | 表:MARUI GOLDEN MASCOT SERIES No.1 星飛雄馬ピッチングマスコット | 取説:星飛雄馬バッティングマスコット? 袋止:デラックスマスコットシリーズ? 帯:ピッチングモデル? 優勝カップ:金メッキ? |
花形B | 横 | 表:MARUI GOLDEN MASCOT SERIES No.2 星飛雄馬バッティングマスコット | 取説:星飛雄馬バッティングマスコット 袋止:デラックスマスコットシリーズ 帯:バッティングマスコットモデル トロフィー:金メッキ |
アニメP | 縦 | 表:PITCHING FIGURE 星飛雄馬ピッチングフィギュア | 取説:PITCHING FORM? 袋止:PITCHING FIGURE、ピッチングフィギュア? 優勝カップ:銀メッキ? |
アニメB | 縦 | 表:BATTING FIGURE 星飛雄馬バッティングフィギュア | 取説:BATTING FORM 袋止:BATTING FIGURE、バッティングフィギュア トロフィー:銀メッキ |
おそらく、金型は同じで、メッキの色が金か銀かの違いだけであろう。
MT47-250の250は250円ということで確定してよいだろう。
さて、本丸であるマルイのサイトから、何か情報はないかと探してみた。
代表的な製品
1966年 初のプラモデル商品「歩く恐竜」¥50発売参入。
1968年 プラモデル、マスコットフィギュア「王貞治」選手発売。
1969年 プラモデル、「アポロ宇宙船」「月着陸船」他シリーズ発売。
1970年 「巨人の星・星飛雄馬」マスコットフィギュア発売。
1971年 円谷プロ承認「帰ってきたウルトラマン・空陸走行のマットアロー」等のシリーズ発売、大人気。
王貞治前後のプラモデルをピックアップしてみた。
これからも解るように、王貞治が先で、巨人の星が後であるから、NO.1、2が巨人の星で、NO.3が王貞治というのは、やはり違和感がある。
巨人の星が何度も箱を変えて販売していることから、再販する際に振った番号とも考えられなくもない。
そこで、先ほど気にかかったいたMTXX-YYYである。
アポロ、王貞治、帰ってきたウルトラマン、巨人の星のMTXX-YYYを調べてみる。
東京マルイの品番←→年代を参照。
MT44-700 アポロ月着陸船
MT45-450 王貞治
MT46-350 帰ってきたウルトラマン 空とぶウルトラマン
MT47-250 巨人の星
2つを見比べて、アポロは1969(S44)年でMT44-700、帰ってきたウルトラマンは1971(S46)年でMT46-350、とMTXXと昭和XXが合致する。
もし、マルイの年表が正しいとするならば、MT43-450 王貞治、MT45-250 巨人の星とならねばなるまい。
私の中では、ラジオ中に広報の方が、古い資料は残っていないと言っていたことや、現在は年表を示していることから、箱の番号のほうが信憑性が高いと考えるに至る。
さて、話しはちょっと逸れるのだが、私は1968年生まれである。
幼少期、帰ってきたウルトラマンの劇中で、郷隊員こと団時朗さんがマットアロー2号のプラモデルを作っていて、南隊員こと池田駿介さんが、ラッカー塗装させてくれと、郷隊員に話しているしているシーンを記憶しているのだ。
池田駿介さんは、キカイダー01のイチロー役でも知られており、私は石神井公園でキカイダー01の撮影現場も目撃している。
また、私がサラリーマンになって職場が三軒茶屋だったころ、裏にゼロワンショップというたこ焼き屋があって、池田駿介さんが働いていた記憶もある。
池田駿介さんとは、かなりの頻度で遭遇しているとも言えなくもない。
さてさて、劇中に登場したマットアローのプラモデル。
これは、帰ってきたウルトラマン 第9話 怪獣島SOSで、1971年5月28日(金)放送であることが、ネットで調べると見つけることが出来る。
左が南隊員、中央が加藤隊長、右が郷隊員、手に持っているのはマットアロー2号。
この映像から解るように、マルイ製ではなさそうである。
なぜならマルイ製は、尾翼の中に、ウィンチのようなものがあって、ゼンマイで空や陸を走る機構があるからです。
また、マルイ製ならばデカールが付いているので、劇中でデカール貼ってるのはつまらない絵になりそうで、実際はマスキングテープを貼って、ラッカー塗装しているので、美術スタッフが作った本物を使ったと考えるのが妥当だろう。
他にも、ブルマァク(BULLMARK)製も考えられるが、これ以上の詮索は穴とは関係ないのでやめておく。
劇中でマルイのプラモデルが使われようが使われなかろうが、昭和の企業は商魂たくましく、円谷プロ承認や、大人気と書いてある通り、この頃の人気の特撮ヒーローとのタイアップが取れ、たくさん売れたことに歓喜したことだろう。
また、劇中でプラモデルを作るシーンがあったとなれば、ここぞとばかりに力を入れただろうし、次回作のウルトラマンA(エース)が始まるまでの1年が勝負であったことは、いうまでもない。
というわけで、MT46-350の、46は昭和46年で確定だろう。
MT44-770のアポロ月着陸船だが、月面着陸は1969年7月20日であり、設計図とまではいかなくとも、3Dモデル化出来るような外観などの情報は、アポロ計画が1961年から始まっているので、どうにか入手出来たのではないだろうか。
MTXX-YYYのXXは昭和、ないし西暦の下2桁、YYYは金額ということで確定だと考えます。
このように、プラモデルを作るタイミングや理由として、売れるという確信や見込みが絶対的に必要であると、私は考える。
では、王貞治や巨人の星はどうだろうか。
王貞治は、1968年に初の首位打者となり、1970年まで3年連続で首位打者となる。
シーズン55本塁打は1964年、756号ホームランは1977年9月3日。
プラモデル化に踏み入るタイミングとして、マルイの年表の1968年を信じるのか、箱のMT45-450を信じるのか。
1968年に初の首位打者、1970年に三年連続首位打者、どちらも可能性は十分にある。
巨人の星は、1966年から1971年まで週刊少年マガジンに掲載され、アニメは1968年3月30日から1971年9月18日まで、よみうりテレビで放送される。
こちらもマルイの年表の1970年を信じるのか、箱のMT47-250を信じるのか。
巨人の星の放送が終わってから金型を作ったにしては、巨人の星をプラモデル化するうまみであろう、大リーグボール養成ギプス、大リーグボール1号から3号までのフォームの違い、ライバルとしての花形満、左門豊作、アームストロング・オズマのモデルが無いことを考えると、金型を作った時期は、星飛雄馬が大リーグボールを使う以前と考えるに至る。
さて、ちょっと違う切り口で考えてみる。
年次統計 サラリーマン年収 大卒初任給
1965(S40) 447,600
1966(S41) 486,500
1967(S42) 531,800
1968(S43) 635,100 30,600
1969(S44) 721,700 34,100
1970(S45) 871,900 39,900
1971(S46) 1,001,300 46,400
1972(S47) 1,153,500 52,700
1073(S48) 1,400,100 62,300
マルイの年表を信じて計算すると、
1968年に平均年収が635100円、大卒初任給が30600円、王貞治のプラモデルが450円。
30600÷450≒68.0
現代の大卒初任給を20万円とすると、2941円。
1969年の平均年収が721700円、大卒初任給が34100円、アポロ月着陸船のプラモデルが700円。
34100÷700≒48.7
現代の大卒初任給を20万円とすると、4105円。
1970年の平均年収が871900円、大卒初任給が39900円、巨人の星のプラモデルが250円。
39900÷250≒159.6
現代の大卒初任給を20万円とすると、1253円。
MTXX-YYYを信じて計算すると、
1970年の平均年収が871900円、大卒初任給が39900円、王貞治のプラモデルが450円。
39900÷450≒88.6
現代の大卒初任給を20万円とすると、2255円。
1972年の平均年収が1153500円、大卒初任給が52700円、巨人の星のプラモデルが250円。
52700÷250≒210.8
現代の大卒初任給を20万円とすると、948円。
どうやっても、子どもがおいそれと手に入れられるプラモデルではないと考えるに至ります。
しかし、番組中の情報では、数点のパーツを付けるだけの安いもの。
時代、中身、価格、それぞれギャップがありますね。
これらの価格が1/144ガンダムが300円の1980年に近ければ、適性価格なのかもしれません。
いろいろな角度から、No.3 王貞治の謎に迫ってみたが、一向に結論らしきものが見えてこない。
というわけで、最後は私の仮説で締めくくります。
1970年、初首位打者となった王貞治に目をつけ、シリーズ物ではない王貞治のプラモデルを販売する。
年代と価格がマッチしておらず、おそらくはそれほど売れなかったのだろう。
1971年、帰ってきたウルトラマンのシリーズを販売し、大ヒットする。
1972年、これはいけると、帰ってきたウルトラマンと同時期にアニメ放送されていた巨人の星に目をつけ、巨人の星の初版、No.1 ピッチング、No.2 バッティングを販売。
しかし、こちらは帰ってきたウルトラマンほど売れなかったのだろう。
それから5年後、高度経済成長で、給料も上がり、生活も潤ってき、第二次ベビーブームの子どもたちという対象が大きくなる。
1977年9月3日、王貞治が756号ホームランを放ち、世界一となる。
1977年9月5日、王貞治が国民栄誉賞を受賞する。
1977年10月1日、新巨人の星のアニメがスタートする。
1978年3月25日、ピンクレディーのサウスポーが発売される。
このタイミングでならば、王貞治や巨人の星のプラモデルが売れるのでは。
いやむしろ、このタイミングを逃してはなるまい。
この際、野球つながりだからと、ゴールデンマスコットシリーズと銘打ち、
No.1 左門P
No.2 花形B
No.3 王貞治
と画策したのではないだろうか。
1977~78年当時、レコードのEPが600円ですから、王貞治の450円、巨人の星の250円は十分妥当な価格設定だと考えられる。
さて、真相はいかに…