昼食中のちょっとした会話。
僕「さっきテレビ見てたけど、何見てたの?」
母「マッサンだよ。今日一日やってるよ。」
僕「何ヶ月やってたっけ?」
母「半年くらいかな。」
僕の中のコンピュータが動き出した。
マッサンは15分番組で、母のいう半年つまり、52週の半分の26週で、月~金の5日だとすると、4回の放送で1時間だから、(26×5÷4)時間。
数学科出身だからといって、計算が得意というわけではない。
そろばんが出来るわけでもない。
実は、これ以上計算せず、計算は終了。
5÷4>1
26>24
より、一日で全部放送出来ない。
//
この間わずか1秒未満。
僕「今日一日じゃ放送しきれないね。ダイジェストか日をまたぐかだね。」
26×5は簡単だから計算して130とすると、今度は130を4で割らなければならない。
簡単だからと踏み込んでしまうと、面倒な割り算が待っている。
仮に、計算したとして、100÷4=25ということで、24以上だとしたことだろう。
やっぱり、不要な計算であった。
今日は、年末の30日である。
3日間にまたがってしまうと、年が明けてしまう。
という補足情報がどこかしらにあったのだろう。
僕の中のコンピュータ
年末のご挨拶
早いもので、今年も残すところ、あと10時間となりました。
皆々様は、いかがお過ごしでしょうか。
今年最後の記事となります。
年末の挨拶として、「良いお年を」というものがある。
この後に続く言葉はなんだろうか。
日本の挨拶には、前後に続く言葉が省略されているものがある。
「こんにちは」
「さようなら」
といった様な言い回しだったものと思われる。
では、「良いお年を」に続く言葉はなんだろうか。
a) 良いお年をお過ごしください。
b) 良いお年をお迎えください。
c) 良いお年をお送りください。
この三つが容易に思いつく。
「良いお年」の年は、a)は年末、b)は新年、c)は年末から年始に掛けてを、それぞれ指している。
どれが正しいのだろうか。
江戸時代は、大晦日を無事に過ごせることが重要だった。
当時は、売買の支払いは、盆暮の2回で、暮の催促は特に厳しく、取り立てる側も、取り立てられる側も、町を駆け巡り、てんやわんやたったそうです。
すべての借金を返済し、大掃除を済ませ、晴れ晴れとした状態、つまりは良い年末を過ごせることが、良い年を迎えるための条件とも言えます。
逆に、年末が良い状態で過ごせなければ、良い年を迎えることは出来ません。
そう考えると、いずれも言葉た足りないような気がしますが、どれも正しいような気がします。
例えば、言葉を足して、
d) 良いお年を過ごし、良いお年をお迎えください。
の可能性もあるということです。
これらを踏まえると、後に続く言葉が省略された「良いお年を」という挨拶は、実に理にかなっているのだと思える。
さて、もう一つ疑問がある。
「お年」と「お」をつけるのは尊敬語だと思われるが、「年(YEAR)」に「お」を付けるだろうか?
お酒、お塩、お米、お餅、お豆、など神棚にお供えするものに、敬意を払って「お」を付けることは珍しくない。
おビールとか言われてしまうと、ちょっと違和感があるのは、ビールと日本人との歴史がまだまだ浅く、お供えするという習慣が少ないからだと思う。
さて、「年」に「お」を付けるのは、どうなのだろうか。
思うに、昔は数え年が主流で、元旦とともに齢を取ったので、もしかすると、「年」ではなく「年齢」に対して、「お年」としたのではないだろうか。
それならば、相手に対しての尊敬の意味が明確に現れ、「お」が不自然ではなくなる。
などなど、最後まで妄想続きでした。
それでは、皆々様も、良いお年を。
謹賀新年
初春のお慶び申し上げます。
旧年中は大変お世話になりました。
無事に申年を迎え、
皆々様のご健康とご多幸をお祈り致しますと共に 本年もなお一層のご厚誼の程お願い申し上げます。
元旦
猿は何匹いるのかな?
中子氏?
神社に参拝に行きました。
元日ということもあって、かなりの長蛇の列に並ぶこととなる。
後ろの方の会話が聞こえてきた。
狛犬の台座に、中子氏ってあるけど、なんて読むんだろう。
暇だった私の頭の中では、
中:ちゅう、じゅう、なか、うち、あたる
子:し、じ、す、ず、こ、ご、ね
氏:し、じ、うじ
と考えたら、5×7×3=105通りも読みが考えられてしまうな。
でも、そもそもが間違ってるぞ。
まぁ、なぜ間違えたかというのも解らなくもない。
1) 現代人は、左から右へと文字を書く。
2) 氏は氏名のあとに添える敬称である。
それは、中子氏じゃなくて、氏子中。
つまり、右から左へと文字を書いてあるんだよね。
その文字の上に、見た目は「献奉」ってあったでしょう。
奉献って、謹んで献上するってことだよね。
神社のいろいろなところに、奉献の文字はあって、縦書きのものも見受けられる。
奉献が右から左へと書かれていたのであれば、他の文字も同様だと気がつくだろう。
さて、氏子中はなんと読むのかというと、「うじこじゅう」である。
意味は、同じ氏神様(うじがみさま)を祀る人々のことである。
さてさて、氏神様というワードが出てきたので、鎮守様ないし鎮守神、産土神(うぶすながみ)、地主神(とこぬしのかみ)について書いてみようかと思う。
現代において、氏神様、鎮守神、産土神、地主神は、一括りに扱われているが、厳密には異なる神様である。
異なると書いたが、産土神と地主神は同じ神、とは言っても一つの神様ではなく複数の神様、その土地にもともといる神様の総称。
鎮守神は、その土地に建物を建てたりする上で、災いや祟られないようにと祀られた神様。
氏神様は、豪族の先祖神で、その血族が代々祀っている神様。
ややこしいかもしれないが、私はこのように解釈している。
つまり、本来の意味であれば、氏子中は、その豪族の血族を指すのだが、氏神様=鎮守神と考えられている現代においては、その神社が受け持つ土地の人々となる。
さて、我が大泉学園には、北野神社、諏訪神社、氷川神社と鎮守社がある。
どこに参拝するかは、過去記事の♪村の鎮守の神様の…を参照されたし。
負けず嫌い?負けてもいい?【投稿でドットマネーがもらえる!】
ブログネタ:負けず嫌い?負けてもいい?【投稿でドットマネーがもらえる!】 参加中
子どもの頃は、負けると
長男という肩書は、日々我慢の連続であり、わざと負けるというのもあったかとは思う。
勝負というからには、勝ちと負け、ないし引き分けというものが必ず存在する。
win-winなどということもあるのかもしれないが、それはものの見方の違い、それぞれの目的の違いであろう。
すべての勝負に勝つことなど無論無理である。
勝ち続けることの大変さは計り知れないだろう。
しかし、負けを知らないということは、すべてにおいて
負けたことによって得られることもあるはずである。
負け犬の遠吠えと言われるかもしれないが、勝ち続けている人間には解らないだろう。
それは逆説的に、勝ち続けている人間にしか解らないこともあることを意味している。
力の限り戦って負けるのであれば意味がある。という考え方もあるだろう。
戦略的に、今回は負けておこう。ということもあるだろう。
負けると解かっていても戦わなければならないときもあるだろう。
勝負は時の運などと言われる。
博打などの勝負では運が占める割合は高いだろう。
博打以外の勝負でそんなことを言ってるのは、努力を怠った人間か、関係のないまわりの人間だろう。
本当に努力した人間は、むしろ運が無かったなどという言葉で自分を慰めたりはしない。
努力した、努力が足りなかった、ということは自分が一番解っているからである。
他人との勝負で、自分自身を高みにあげられる人。
自分との勝負で、自分自身を高みにあげられる人。
自分はどっちなんだろう。
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リーダーを何にしようか
正月に親戚が集まり、パズドラの親友設定(いまごろ?w)をした。
親友設定をすると、どうなるんだろう。
まず、助っ人選択において、クリア時にもらえる友情ポイントが異なることが解る。
[冒険者] 5ポイント
[フレンド] 10ポイント
[親友] 100ポイント
これは、たくさんの人に親友設定してもらえていたら、それだけお得ということ。
次に、見えるリーダーの数が異なる。
[冒険者] ■枠のリーダーの1体
[フレンド] ■枠のリーダー、●枠のリーダーの延べ2体
[親友] ■枠のリーダー、●枠のリーダー、▲枠のリーダーの延べ3体
■枠は、選択されているパーティなので、変更すれば、相手の見え方にも反映される。
最後に、親友を誰にするのか。
これは各々でよく考えて欲しい。
ただひとつ言えることは、2人で互いに親友設定するのは無意味である。
最低3人で回すのが良いだろう。
AさんはBさんを親友に設定。
BさんはCさんを親友に設定。
CさんはAさんを親友に設定。
と三つ巴にすると、それぞれ2人の親友が見えることになる。
さて、友情ポイントの上限20000は変わらないのだが、友情ガチャが500ポイントとなったために、マックスが40回となりましたね。
40近くになっていたら、何回か回しちゃいましょうかね。
なにせ、親友が2人もいるので、2人とも利用すれば200ポイントも増えますから、もったいないですね。
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【ピグ限定♪】書き初めは何を書いた?
ブログネタ:【ピグ限定♪】書き初めは何を書いた? 参加中
寿です。
申年で年男なので、申も書いたような気がします。
マウスでの書道は厳しいものがありますね。
せめて、ペンタブとかで書いたら少しはましなものになったでしょう。
リアルでの書初めは、親父の名前です。
家では、元旦に御節を頂く前に、長男にはやることがあります。
神棚のろうそくに火を灯すこと。
家族の名前を祝箸の袋に書くこと。
当然、父、母、自分、弟、の順で書いていますので、リアルでの書初めは親父の名前となります。
今年も良い年でありますようにという願いを込め、ピグでは寿としました。
ELEMENTS
リアルタムピグ&マウスオーバー
また、マウスオーバーで向きやアクションを切り替えるということも出来るようにしてあります。
※但し、他人のIDを利用する場合などは、本人に了承を得るようにしてください。
更に、画像のリンク先も選べるようにしました。
かなり使い勝手は良いはずです。(自画自賛?)
ID | ||
---|---|---|
表示 | ||
影 | ||
フォーマット | ||
リンク | ||
向き | ||
アクション | ||
画像 | ||
imgタグ ソース | ||
マウス オーバー | ||
マウス オーバー ソース |
念のため、使い方を説明しておきます。
IDには、表示したいアメーバのIDを入力します。
その他の設定は、いろいろ変更して確認してみてください。
画像が三つありますが、
上の左がマウスが当たっていないとき、
上の右がマウスを当てたとき、
下がマウスを当てたり外したりの動作確認用です。
リンクをリンクなし以外に設定してあると、画像をクリックすると新しいタブで開くことを確認出来ます。
背景透過ピグの画像ファイルが欲しいということであれば、画像を右クリックし、名前を付けて画像を保存でよいでしょう。
※マウスオーバーの画像は背景画像なので保存は出来ません。
それぞれの画像の下にあるhtmlタグは、ブログの記事やフリースペースなどにコピペするためのものです。
クリックするだけで全文選択されるようにしてありますので、<Ctrl]+<C>やマウスの右クリックでコピーし、記事やフリースペースなどに<Ctrl>+<V>やマウスの右クリックでペースト(貼り付け)してお使いください。
※Firefoxの標準エディタ以外での記事投稿ではマウスオーバーのソースが壊れてしまう症状が出ておりました。
どうやら<style>タグに空白や改行があることが原因のようでした。
修正いたしましたので、ご確認ください。
なお、新エディタにおいては、表示の確認や公開で<style>タグが消去されてしまうため、こちらは今のところ未サポートとします。
一応、Firefox、Chrome、Edgeでの動作確認はしていますが、不具合やご要望などございましたら、コメントください。
使って頂けるのであれば、この記事のリンクなどを記事として上げて頂ければ幸いです。
おみくじ
KANJI
閉じ込められっちまった悲しみに
再考:寿司屋の湯呑み物語
日曜日の秘密基地の名物コーナーである秘密キッチの穴。
番組自体は2000年10月8日から2008年3月30日までの382回の放送で、約800の穴が開けられましたが、未解決の穴が多々あり、その穴はラジオを通じて、リスナーに新たな穴として刻み込んでしまった可能性を捨てきれない。
寿司屋の湯呑み物語
およそ20年ものの穴です。第255回(2005年10月9日?)放送時に開けられた穴です。
両親と一緒にお寿司屋さんに行った時、変わった湯呑みを見ました。
その湯呑みには、魚の名前の羅列ではなく、魚の名前を上手く繋げた一つの話しが書かれていました。
殆どの部分を忘れてしまいましたが、魚編に春と書く鰆(さわら)を使った、「鰆ぬ神にたたりなし」という一文だけ覚えています。
鰆の他に、この湯呑みの話しにはどんな魚が出てきたのでしょうか?
ご存知の方は教えて下さい。
伊集院光は「鮎(あゆ)して鯉(こい)して鱚(キス)をして」という一文があった事を力説している。
3週後の第258回(2005年10月30日?)の放送時に、サードメン髙橋がリポーターとなって、解決に導こうとする。
情報1
23年前の修学旅行で九州に行った時、バスガイドさんから魚が散りばめられている文章から魚を見つけ出すクイズを出された記憶があります。世の中には、魚の名前の入った文章はあるという例です。
確か、23種くらいの魚が入っていて、ホウボウやカレイも入っていたような気がします。
僕の記憶が確かならば、その車中クイズで私は1位になり、バスガイドさんから表彰されました。
もしかすると、穴の湯呑みに書かれていたのも、同じ文章だったのかもしれません。
情報2
穴の件とはあまり関係ないかもしれませんが、73歳になる私のおじいちゃんは、「サワラらぬ神にタタミイワシ」とよく言います。湯呑みの一部に入ってる可能性はあるかも。
この湯呑みの分相も、昔のダジャレを集めたものなのではないでしょうか?
情報3
泉鏡花の「木の子説法」という作品に、魚のダジャレが続く文章があったと思います。魚説法という狂言の一部のようです。
魚つながりということで、この文章を転載したのではないでしょうか?
「ハモあみだぶつ、ハモほとけと、唱うならば、フナらく世界に生まれ、コチへコチへと請ざれ、…」
情報4
僕の父親が持っている湯呑みに、魚のダジャレが書いてあります。情報5
その全文書いておきます。
「サカナはマグロか、マスマスアジよ、フカくアユしてコイしたら、サメないうちにハヤくキススルメ、おとこブリだよ、シャチカツオカズノコばかり、ボラないで、サワラぬフグにみはアンコウ、タコタコアワビで、さきはめでタイ」
20数年前の話しです。情報6
小学生のころ、近所にあったお寿司屋さんの湯呑みにも、魚の名前を使った洒落のようなものが書いてありました。
「アユとコイとがキスをして、フグニシンしてしまい、…」
こんな出だしだったのですが、ここから先は覚えていません。
そして、そのお寿司屋さんですが、現在は別のお店になっています。
今思い出すと、自分はなぜ小学生のくせにこんな文章を必死に暗記していたの疑問です。
私もこの湯呑みを見た覚えがあります。ついに、店名の情報が寄せられる。
確か、「サメザメとなき」という部分があったと思います。
何軒かのお寿司屋さんで見たことがあったのですが、最近は見ていません。
情報7
この文章が書かれた湯呑みを、近所に出来たチェーン展開している回転寿司屋さん「元禄寿司」で貰った記憶があります。元禄寿司の名前が変わって、平禄寿司となっている。
しかし、十年以上前のことなので、この湯呑みもなくしてしまい、文章も覚えていません。
今は、元禄寿司はもうなくなってしまい、新しい回転寿司のお店になっています。
元禄寿司の会社に聞けばなにかわかるのではないでしょうか?
平禄寿司でも今は使っていなく、社内にも残っていない。
情報8
先日、大宮のそごうの中の「すし波奈」というお寿司屋さんに行ったのですが、この湯呑みが今でも使われていました。湯呑みの全文
写真をお送ります。
「アユとコイとでキスをして、フカい仲となり、フグニシンしてしまい、アユのカレイはサメザメと泣き、コイの旦那ひとことモンコイワシしてもらおうと、ブリブリおこる、コチはそれみて、タイしたことないとヒラメ顔タラ、サワラぬかみにたたりなし、ホッケといいそれからハヤくも月日がながれ、なんのサヨリもないままに、サケのスズキなカレイ、マスマスやけサケをフカのようにのみ、タコのごとくマグロくなり、コノシロもハゼもあの世ゆきとなり一件落着、サバサバとしてめでタイおわりとなる、ああ面白い寿司の味」解決となった。
ここから再考。
穴自体では、元禄寿司かどうか解かっていないし、鰆があったとだけである。
伊集院光の「アユしてコイしてキスをして」に近い文章から始まることや、他の情報の文章も含まれていることで、解決で良いとは思う。
しかし、元禄寿司の湯呑みの物語は解明されていないことが私の穴として残ってしまったのだろう。
そして、月日は流れ、この記憶が私に蘇り、ふと手元の湯呑みを確認する。
元禄寿司の文字と、物語がある。
全文を掲載する。
久し私なりに解釈してみる。鰤 のご鯛 面鱶 鮭 飲んで鰆 いで鯵 な鮠 しに鰰 あげて鱒々 旨い鮭 の鯵 鰕 す鮪 と飲み歩き
好きな穴子 に鯉 かけて鱚 して鰆 んと鮃 打ち鰈 鯉 やり鯛 しほう鯛 鯵 くに鯔 れて鰒 れっ面鰰 まいった鱶 り連れ
後に鯵 わう元禄の鯵 わい鱶 い鮨 の鯵
久しぶりのご対面これで私の穴も解決したのだが、…
深酒飲んで騒いで
味な囃子に旗あげて
増々旨い酒の味
恵比寿、目黒と飲み歩き
好きなおなごに 声かけて
キスして触ろうと、平手打ち
かれこれやりたいしほうだい
挙句にボラれてふくれっ面
はたはた参った二人連れ
後に味わう元禄の
味わい深い鮨の味
2005年放送で、20年ものの穴ということは、1985年(昭和60年)前後の穴であろう。
すし波奈の波奈グループを経営する早野商事株式会社の沿革、
旧・元禄寿司である平禄寿司を経営するジー・テイストの沿革、
どちらも1985年の頃には寿司屋はやっているので、穴の時期としては全く問題はない。
穴の投稿者さんが、当時どの地域にお住いで、どんな寿司屋に入ったのかまでは、こちらでは解らないので、これ以上の捜査は難しい。
というわけで、秘密キッチの穴というブログテーマを作ったので、現在のインターネットの力を使って解決していこうかな。
PS: 文字起こしは面倒だねぇ。
清原はまだ容疑者である
リアル友のブログで、清原の覚醒剤問題を上げている。
彼の記事の内容に真っ向反対するわけではないのだが、私なりの意見を書いておこうと思う。
彼の記事では、最後は打算で巨人入りして、嫌いになったと書いている。
彼が清原を嫌いになる理由として、巨人入りということについては、事実そうなんだろう。
でも、清原の巨人入りは打算ではないと考えている。
よく思い出して欲しい。
清原がドラフトで巨人への入団が叶わず涙した姿が、私の脳裏に焼き付いている。
清原の野球人生という歯車はあそこからズレ始めていたのではないだろうか。
桑田・清原のKKコンビは、私のひとつ上で、ほぼ同じ時代を生きてきている。
清原は、まだ容疑者である。
覚醒剤の使用を認めたとかそういうことは解らないが、仮に使用したとしたとして、私はそれについて擁護するつもりは毛頭ない。
だけど、前から思うんだよね。
ドラフトってなんだろうって。
ドラフトが必要な理由として、お金を持っている球団ばかりが良い選手を揃えてしまい、プロ野球がつまらなくなるから。
ふーん、という感じである。
でもね、よく考えてみようよ。
選手も行きたい、球団も欲しい、という相思相愛な状況で、それが叶わないというのはどうなんだろう。
そんなことで野球人生を狂わされるのは、たまったものじゃない。
ましてや、これまで野球一筋で高校3年間は、桑田はエース、清原は4番で、
1983年夏:優勝
1984年春:準優勝
1984年夏:準優勝
1985年春:ベスト4
1985年夏:優勝
清原個人に至っては、甲子園通算13本塁打と輝かしい成績を残しているのである。
これはドカベンの明訓高校に準ずる成績ですね。
因みに、ドカベンは1972年から1981年なので、ついにリアルがマンガに追いついたものだと思ったりもした。
当時、巨人が桑田を1位指名していたことから、ピッチャーを欲しかったのだろうことは解るが、清原は要らないという理由にはならない。
そういえば、清原は、覚醒剤撲滅のポスターになっていたように思う。
むしろ、今の清原の姿が、覚醒剤撲滅としての影響力は計り知れないというのが、なんとも皮肉である。
脳内麻薬と覚醒剤という麻薬。
ホームランを打つことで、脳内麻薬であるドーパミンが発生し、快楽を得たことだろう。
しかし、快楽というものは、同等の刺激では麻痺して快楽を得られなくなるのだろう。
伊集院光も言っていたが、ヒットより二塁打、二塁打より三塁打、三塁打よりホームラン、ソロホームランより満塁ホームラン、といった様により刺激的なものを欲するのだろう。
プロという世界は、想像を絶する過酷な環境であると推測することしか出来ない。
プロの選手ということは、誰しも精神的にタフであり、と思われがちだが、実際はそんなことはないのではないだろうか。
プロでも精神的に弱い人もいる。
実際の社会のにおいて、
精神的に弱くても結果を出す人も居る。
精神的に強くても結果を出せない人も居る。
つまり、精神の強弱という軸と、結果を出す出さないという軸の2軸という平面において、上記の2つの事象が存在するということを、改めて考えなければならないだろう。
もしくは、プロという過酷な環境は、高校までの野球とは違うものなのだとも言える。
プロで成績を残すということは、一般人が考えているプレッシャーよりもはるか上を行っているのだろう。
だからと言って、麻薬に手をだしていいということではないのは、いうまでもない。
さて、第一回ドラフト会議は1965年11月17日である。
それまでのプロ野球はつまらなかったのか?
確かに、1965年から1973年まで、巨人のV9時代が到来するのだけど、むしろ野球の人気が出たのは、巨人が強かったからではないだろうか?
巨人の星は、星飛雄馬が巨人以外に入団したら、どうなっていただろうか?
侍ジャイアンツは、番場蛮はセリーグ最下位の大洋ホエールズに入団するはずだったけど、タイトルにもあるように巨人に入団して活躍するが、大洋に入団していたら、当時としてリアリティはあったのだろうか、そして面白いと感じ得ただろうか?
これからも解るように、我々の世代の野球少年は、リアルでもマンガでもアニメでも、少なからずとも巨人へのあこがれがあったし、アンチ巨人もあこがれへの裏返しとも取れなくもない。
清原という野球人は、プロ野球選手になるという夢よりも、巨人の選手になるという夢のほうが強く大きくあったのだと、私は考えるのである。
再考:激安バーガーショップ
2001年10月14日?に開けられた穴
激安バーガーショップ
およそ13年物の穴です。この穴が解決したのか、私は知らない。
池袋駅東口、東武伊勢崎線草加駅西口などにあったハンバーガーショップ。
味はお世辞にも美味しいとは言えませんでしたが、ハンバーガーは100円位、チーズ・テリヤキ・フィッシュバーガーも150円以下だったと思います。
経費をかけない為か看板も広告もなく、店の名前さえも分からなかったのですが、首都圏にいくつかチェーン店があったと思います。
うろ覚えなので自信がないのですが、赤と青の縞のユニフォームだったと思います。
こんなバーガーショップについてご存知の方はぜひ、教えてください。
パーソナリティの伊集院光は、池袋界隈はなにげに詳しい。
ここからが再考。
さて、この穴なのですが、私は何度も利用したことがあるという話しです。
なぜ、覚えているかというと、近くに私の父が経営していた理容室があったからなのです。
当時、理容業は年末は猫の手も借りたいほど忙しく、3兄弟妹は、学校が冬休みに突入したと同時に、店の手伝いに駆りだされます。
昭和43年生まれの私が、はじめて理容室で年末にバイトをしたのは、小学校4年くらいからで、5年、6年、中1、中2、高1、高2と受験生でない学年のときは必ずバイトをしており、私が中学か高校の頃から件のハンバーガーショップは存在していたかと思います。
激安バーガーショップは、理容室の従業員や、私達3兄弟妹からは、100円バーガーと呼ばれていました、それが正式名称かは解りません。
小腹が空いたからと、理容室の従業員からお使いと称して、よく買い出しに行かされました。
値段は、消費税が導入される前だったと思うので10円単位で、ハンバーガー100円、チーズバーガー120円だったかと思います。
てりやきバーガーといった洒落たものがあったかは覚えていません。
100円バーガーの所在地は、理容室から横断歩道を2回渡って行った記憶があるので、理容室とは斜向かいの東池袋1-8-8だったかと思われます。
2001年の放送時で13年物という穴は、1988年の穴ということで、私が大学2年生の頃となりますが、大学時代にも100円バーガーの話題はあったので、その頃も存在していたかとは思います。
ここからは、余談です。
伊集院さんが、文芸座によく行かれていたということは、うちの店の前を通ったことは何度かあるかもしれません。
池袋駅から、文芸座に行くルートはいくつもありますが、東口を出て、当時の東口交番から線路沿いを通って、D-BOX側から行く、もしくは一直線に文芸座に行く裏通りを行くことは、青年伊集院光にとっては、かなり目の毒なゾーンであり、映画好きということであれば、日勝地下もあった明治通り沿いを通っていたことでしょうか。
だとするならば、理容室のサインポールを1度は目にしているかと思われますので、もしかしたらすれ違っているかもしれません。
2016年現在、100円バーガーは当然なく、理容室も父の緊急入院とともに閉めてしまい、また店の入っていたビルも建て替えとなって、ビルの名前も変わってしまって、昔の面影はありません。
東口交番は場所を変えて、西武口を出て横断歩道を渡っった先にふくろうをモチーフにしたものとして存在し、昔の東口交番のあった場所には、プレッツェルの店だったり、豚まんの店だったり、いろいろなお店が入れ替わり立ち替わりしていて、現在何をやっているのかは解りません。
日勝地下のあった場所はヤマダ電機LABIモバイルドリーム館に、三越もヤマダ電機日本総本店となっています。
もっと古い話しだと、池袋マンモスプールないし池袋スケートセンターは、豊島清掃工場になっており、白い煙突で、すぐに解ります。
現在でも池袋をよく利用する伊集院さんにとっては釈迦に説法かもしれません。
池袋も随分と変わってしまったなぁ、としみじみ思うのでした。
Amebaバレンタイン恋愛診断結果
再考:涼しさお届けのプラモデル
2001年7月1日?に開けられた穴
涼しさお届けのプラモデル
およそ15年物の穴です。伊集院さんはステレオのプラモデルがあったという話しをしたが、信じてもらえずにいたが、古いプラモデルを販売している店でステレオのプラモデルを見つけた。
プラモデル屋さんで見かけたエアコンのプラモデル。
当時は扇風機のプラモデルもあり、これはモーターが付いていて、ちゃんと風を送ることが出来る仕組みになっていた。
ということはエアコンのプラモデルからは、本当に冷風が出たのでしょうか?
今でも、夏になると思い出します。
ぜひ、この穴に決着を付けてください。
エアコンのプラモデルがあったかは知らないが、こんなプラモデルもあったよという情報を求めた。
次週の2001年7月8日?に解決偏が放送される。
伊集院さんはラジカセのプラモデルをよく覚えていると話している。
音は出なかったと付け加えた。
情報1
僕が高校生の頃ですから、17年ぐらい前、確かにエアコンのプラモデルはありました。情報2
友達が作って見せてくれたのを覚えております。
そのシステムなんですが、箱の中に扇風機のようなファンが入っていて、箱の下に水を入れるトレイがあり、水の上を風が通ってくるから涼しかろうということで、ぜんぜん涼しくなかった。
霧ヶ峰だったと思います。
他に、変な家電プラモで思い出すのは、冷蔵庫のプラモデルがありました。
これは全く中は冷たいとか関係なく、形だけでした。
僕が小学生の頃、ドラムセットのプラモデルがありました。情報3
あれってなんだったのでしょうか?
高校生とか中学生のお兄さんがいる友達の家に遊びにいくと、必ずと言っていいほど、そのお兄さんの部屋に飾ってあった。
冷風は出たはずだ。情報4
当時小遣いが少なかったので、このエアコンのプラモデルを買うか、宇宙戦艦ヤマトにするか、かなり悩んだ。
箱に書かれていた構造には、本体の中に水を含んだフィルターが入っている。
そこに電気のファンで風を当てると、フィルターの水分が蒸発するわけですが、その時に回りの空気から気化熱という熱を奪うため、温度が低くなった風が吹き出すというものだった。
氷を入れるともっと冷えますと書かれていたのが間抜けでした。
ゲゲゲの鬼太郎妖怪プラモデルが数種類出ていた。情報5
油すましのプラモデルがありました。
プラモデルの中には、本物の枯れ枝がいっぱい入っている。
釣り竿とリールのプラモデルがあった。
組み立てると30cmくらいの小さな竿と、手のひらにのるくらいのリールが出来る。
リールは実際に動くけど、何を釣るのだろうか?
ここからが再考です。
さて、今回の穴ですが、中学・高校時代に柔道部だったのだが、高1で練習中に怪我して、退部して、模型部を作った部長の私からの情報を補足してみます。
まず、クーラーのプラモデルですが、
TSM/東京シャープ模型から、
・ミニクーラー
・氷河HYOUGA
・しろくま
他の家電プラモでは、
扇風機であれば、NITTO(日東科学教材)が、「そよ風」など。
ステレオやラジカセのプラモは、アオシマがSONY リバティーのタイプ1とタイプ2、パイオニアA99、パイオニアランナウェイなど。
楽器のプラモは、Nichmo(ニチモ/日本模型)で、ミュージックシリーズと銘打っていました。
ステレオやラジカセのプラモは音がでないと伊集院さんは言っていましたが、ステレオのプラモの後継モデルには、小型のスピーカーを内蔵して、ジャックでテレビやラジカセなどとつなぐことで、サブスピーカーとして利用することが出来るものもあったかと思います。
また、釣りマニア三平と番組では言っていましたが、釣りキチ三平ですね。
おそらく放送コードを意識して、キチをマニアとしたのでしょう。
このシリーズもアオシマだったかと思います。
ゲゲゲの鬼太郎の油すましは、NITTOだったかな。
こういった情報でググッてみてください。
霧ヶ峰のプラモデル、あったのかなぁ。
また新しい穴になりそうだw。
さて、上記に上げたような家電プラモは、おそらくは1/6スケール前後に統一されているのではないだろうか。
つまり、スケールが統一されているということで、別メーカーであろうが、人型フィギュアなどと組み合わせて、ジオラマとしてくくることも出来るのだと考えます。
昭和は、三種の神器や3Cなどと言われていた昭和レトロなものが多々あり、そういったものをプラモデルとして残すということに、21世紀の平成になった今としては意味があったと考えます。
リアルな家電は使えなくなったら廃棄しますが、プラモデルには動かして遊ぶものもありますが、鑑賞目的だとすると、廃棄する場合は別の理由となります。
また、宇宙戦艦ヤマトの人気があった頃は、宇宙戦艦ヤマトのシリーズの100円プラモ、コンバットが放送されたころは戦車や戦艦、ガンダムの人気が出れば、ガンプラと、プラモデルメーカーも、なんらかのタイアップが出来なければ、独自路線で試行錯誤して進むしかなかったのではないだろうか。
我々が夢見た21世紀、昭和も終わり、平成も28年となっています。
今こそ、昭和レトロのプラモデルを復活させ、昭和の町並みや昭和家電などで懐かしむのも良いかもしれません。
ウィキペディアに昭和のプラモデルメーカーという項目がありますので、当時のプラモメーカーを思い出すきっかけになるかと思います。
さて、私の記憶にある様々なプラモデル。
屋台のプラモ、お城のプラモ、ゼンマイで動く手首のプラモ、生首のプラモ、…
戦艦のプラモでも、飾ることを目的としたウォーターラインシリーズよりも、ニチモの30cmシリーズが好きだったな。
モーターでスクリューを回して、水の上を走らすことが出来たことが子どもに受けたのだと思う。
だってね、マブチ水中モーターじゃないんだよ。
マブチ水中モーターは、それはそれで楽しかったんだけど、成長するにつれリアル路線となり、子どもだましだったと感じたからだろうね。
スクリューの途中に、グリスを詰めるボックスがあって、手がグリスまみれになったなw。
家の近くに、新しく道路が出来て、出来たばかりの綺麗なU字溝があって、その両端をせき止めて、水を貯めて走らせたことを思い出す。
悪いことやってたなぁ。
などと、結構思い出に残っているものです。
他にも、プラモデル関連の穴があったと思うので、今回はこのへんで…
再考:ロボダッチの仲間たち
またプラモデルの穴を再考してみよう。
2003年2月9日?に開けられた穴
ロボダッチの仲間たち
およそ27~28年物の穴です。伊集院さん、CMソングを歌い出すw
当時、売られていたロボダッチというプラモデル。
そのシリーズの中に、ベースボール・ロボダッチというのがありました。
4箱1パックで売られていて、中には、ピッチャーロボのピッチャン、キャッチャーロボのキャッチャン、バッターロボのダッシュボンがあったのですが、あと1つがどうしても思い出せません。
どなたかご存じの方は教えてください。
♪人間だったら友達だけど、ロボットだからロボダッチ、イマイのイマイのロボダッチ。
で、おなじみのw
1個80円で、田んぼの田の字に4個入り1パックが300円。
値段の高い基地とかの情報も話す。
伊集院さんの記憶では、野球ロボだかベースボールロボだか解らないが、お腹のところにバットがあるのは知っている。
しばらくロボダッチ談義が続く。
2003年2月16日?放送
伊集院や池田Dも大好きだったロボダッチ。
伊集院説は、4個パックのはスポーツのパックで、野球は1個しかない。
情報1
ロボダッチシリーズのベースボール・ロボダッチ4箱1パックのうち、ピッチャーロボ、キャッチャーロボ、バッターロボの残りの1つはズバリ、タマゴローだと思います。野球仕様のタマゴロー説は1~2通しかない。
友達は27~28年前に、これと同じものを購入していて、もっとよく覚えていて、タマゴローは、昔の中日ドラゴンズの帽子を被っていて、野球仕様のタマゴローだった。
伊集院さんの言っていたように、ベースボール・ロボダッチだけのパックもあったけど、忍者のパックなんかもあった。
それも忍者ロボ3体とタマゴロー1体という組み合わせだったと思います。
情報2
ロボダッチに野球をするロボットは王選手に似ている野球ロボしかないはずです。情報3
これは、ゴルフロボやテニスロボを覚え違えているか、何かパチもんのプラモデルじゃないか。
再販や90年代のよそのメーカーのロボダッチは知りません。
イマイの金型を買い上げて作ったメーカーが出しているのかもしれませんけども、おそらくないと思います。
メーカーの今井科学は昨年業務を完全に停止。
プラモデルの金型類はアオシマ模型が引き取り、わずかな種類ですが再販はされている。
因みに、池田Dが買った超合金のロボダッチはタカラから発売されている。
今も持っていると、かなり価値があると言われている。
そもそもロボダッチは大きい、宝島、海賊船、秘密島といったネーミングのものを除くと、タマゴローとドラタローというロボット以外は、ロボ○○か、○○ロボといったネーミングになっていたと記憶しているのですが、(ピッチャン、キャッチャン、ダッシュボンに対して)そんなネーミングのはいるんですか?情報4
スポーツ系4つで1セットだったと思いますよ。穴がどんどん開いていっている…
どういうセットだったかは思い出せませんけれども、すもうロボってのはあったし、ゴルフロボ、サッカーロボ、スキーロボ、ホッケーロボなんてのもあった。
当時、全部のロボが書かれたビラが付いていて、それがあれば一目瞭然だと思うんですが…。
ガンダムっぽいガンテツロボ、ドラえもんをパクったロボえもん、あるいはジャイアント馬場風のジャイアントロボ、アブドラ・ザ・ブッチャー風のブッチャーロボがなどがあり、若貴ロボというのが10年ぐらい前に出たと聞いたのですが、聞いたのがロボダッチに関する情報の最後でした。
情報5
懐かしいと思い、インターネットのオークションサイトで、レアなプラモデルを打ってないかと思ってみたら、○○ロボという考え方が断言出来ないことが解りました。僕ら(伊集院や池田D)が知っている野球ロボとぜんぜん違う、バッターの野球ロボがある。
丁度売りに出されていました。
とびだせ!ロボダッチシリーズ、イマイ、野球ロボ・ミスターホームランという、…
バットはお腹についていなくて、背中にしょってて、ヘルメットをかぶっている。
全然違う、こんなの知らない。
しかも背番号55でジャイアンツっぽい帽子をかぶっているということは、これ松井(秀樹)がデビューした以降でしょう。
これがあったということは、若貴ロボもどうもある。
だから、俺達と同じ世代の第一期のみをロボダッチだと思い込んでる組には、無いんだ。
しかも、ミスター・ホームランはシリーズ番号4と書いてある。
1、2、3は少なくともあるよね。
混迷を極めて来た
情報6
さて、ロボダッチの話しがあるとき、昔シールを貰ったことを思い出し、探したらみつかったので、同封します。イマイのカーダッチの情報が送られる。
穴がめちゃめちゃ広がって、ばらんばらんになってきている。
ミスター・ホームランのパッケージ写真をみたことは、僕が思っていた常識とは違う物がある。
伊集院さんは、全部揃えたいとか言い出す始末。
CM跨いでも、番組終盤までロボダッチの話題は尽きなかった。
2003年3月2日?放送
情報7
私もロボダッチのプラモデルを作っていたものとして、懐かしく思いました。
社会人になってから、若貴ロボらしきものをみかけて、まだこのシリーズは続いているのかと思ったことを記憶しております。
今は流石にプラモデル自体を持っておりませんが、子どもの頃に近所の模型店で貰ったと思われるロボダッチのロボット一覧表のイラストの下敷きを持っていますので送ります。
その下敷きを見ても、野球に関係するロボは、野球ロボだけ。
これが俺(伊集院さん)が知ってるロボダッチ!
プラモデルがいくつか届く。
「ロボッ島」が送られてくる。
イラストにはたくさんロボットが描かれているが、ロボットは4体くらいしかついていなくて、1800円。
「柿の木」が送られてくる。
ぜんぜん知らないやつ出てるw。
野球関係のやつは居ない。
情報8
僕が小学校の時、兄がクリスマスプレゼントで両親から4体セットで貰ったうちの1体です。「フルチェンロボ スモウ」が送られてくる。
僕はプレゼントで野球の電子ゲームをもらったのですが、母親に駄々をこねて兄から1つわけてもらいました。
横のシリーズ紹介から、「フルチェンロボ ベースボール」があり、背番号8から、原の影響か?山本浩二の赤ヘルか?
情報9
放送を聞いて、ロボダッチについて聞き、家にも何個かあったかと思い、倉庫を探したら幾つか出てきました。更に、「フルチェンロボ フットボール」が送られてくる。
お送りします。
情報10
ロボダッチについて、家に雑誌が出てきました。野球ロボについての記事があるがあるが、僕ら(伊集院さん)が知ってるロボでした。
コミックボン平成10年号にロボダッチの特集があって、野球ロボの記事がありました。
情報11
当時のカタログ、ファイトセットとして、ガリ勉ロボ、野球ロボ、フットボールロボ、クイシンボーロボのセット。情報12
スポーツセットはテニス、バーベル、スキー、シャゲキのロボットだった。
数年前、嫌がる友達より無理やりゲットしたポスターを送ります。新しい4点パックが全部で45種類。
私はロボダッチはまったく未経験世代ですが、小沢さとる先生のファンでもあるので、…
ヴァルキリーというロボットがあることから、83年~85年くらいのもの。
野球は、野球ロボだけ。
情報13
サンコー スポーツ根性ロボシリーズというロボダッチにちょっと似た企画の中に、スポーツシリーズのようなものがあって、野球のロボットのシリーズもあった。2003年3月9日?放送
写真はスモウロボットシリーズで、小結でこ光、横綱ロボ秩父、大関太腹山、というセットがあって、これと同じ野球シリーズがあって、ロボダッチとは紛らわしいものだった。
情報14
ロボダッチの野球ロボセットの件ですが、おそらくは実在したとは思いますが、もしかすると販売されていない可能性がある。マンガには出てるけど売ってない、広告まで出だしたけど売ってない。
そもそも、このロボダッチシリーズそのものが、かなり複雑な歴史を持っているようで、私の記憶に残っているだけでも、第一期から第三期までの販売時期がある。
おそらくこの野球ロボセット、ベースボールロボダッチは、第二期の本当に最後の方に発売されたようだ。
当時、ロボダッチのシリーズの人気のピークは過ぎていましたが、人気挽回のため、新シリーズとして、雑誌とのタイアップ企画として、おそらくテレビランドという雑誌だったと思います。
展開するため、雑誌上にラインナップとマンガの予告が載せられていました。
その中には、タマゴローのライバル・ロボZのチームのロボットたちもラインナップされていて、今で言うマルチメディア戦略の企画だった。
ところが、この予告編が載った直後に、今井科学が倒産します。
企画そのものが立ち消えになったようだ。
他の松井似の野球ロボ等は、販売がタカラに移った第三期の最後の方にラインナップされていると思います。
第一期販売の時期ではテレビコマーシャルまで宣伝したほどは売れなかった。
チラシに書いてある中にも販売されていないものが多い。
本当に売れたのは、第二期シリーズの初期。
他にもスーパーカーブームに便乗したカーダッチが結構出ていた気がします。
第三期は、発売元がタカラになり、プラモではなく人形(超合金)が結構出ていたが、そんなに好調ではなかった。
更に、十年くらい前には、スーパーファミコンのゲーム化の予定があったようで、ファミコン雑誌の発売予定の欄に、発売時期は未定だけれども、ロボダッチというシリーズが書かれていたが、立ち消えになった。
情報15
ロボダッチの同人誌を持っている。バットをいっぱい持ってるやつ、グローブをいっぱい持ってるやつ、足がいっぱいあるやつ、ボールをいっぱい持ってるやつが写っている。
その中に紹介されている。
バッターロボ、ランナーロボらしきものがある。
これは何なのか?
タマゴローがいない、超初期のがあったらしい。
ピッチャーロボ、野手ロボ、バッターロボ、ランナーロボがイラストとしては確認されている?
僕らも知らないロボダッチがある。
こうなってくると、本物のパッケージ写真か、有力な証言、イマイに勤めていたひとか、しかないのか?
ここからが再考。
この穴は、解決したのだろうか?
ロボダッチ、友達が集めてたなぁ。
私も伊集院さんの1個下なので、世代はバッチリ同じです。
ロボダッチに関する詳しい情報は、ロボダッチの世界を参照されたし。
まず、穴を開けた人は、27~28年前とかなり厳密に時期を示していること。
これは誰とロボダッチで遊んでいたとか、小学校のクラスの誰とか、そういう情報と結びついているものだから、年代のズレはほとんど無いと考えるべきだろう。
放送時の2003年で、27~28年前は、1975~1976年となり、ロボダッチの世界で確認すると、一番初期であることが解る。
そう考えると、伊集院さんや池田D、はたまた私の知っている、胴体にバットが付いててくるくる回る野球ロボである。
それ以前だとすると、放送中に言っていたタマゴローが居なかった第0期ということなのだろうか?
しかし、ロボダッチの世界の初期の初版パッケージの右上隅にすら、丸枠にタマゴローが描かれているので、初期からタマゴローは存在したことになる。
ロボダッチの世界から、野球関連と相撲関連が入ったものをピックアップしてみると、
4箱/1パック300円 1箱バラ80円
9号 フットボールロボ、10号 野球ロボ、11号 クイシンボーロボ、12号 ガリ勉ロボのパッケージとなり、ピッチャーやキャッチャーのロボは存在しない。
1981(S56)年7月発売の、No.2 スポーツセットの中身は、5号 すもうロボ、6号 サッカーロボ、7号 ガキ大将ロボ、8号 先生ロボとなり、野球ロボは入らない。
ロボダッチ PART II フルチェンロボ No.1 フットボール
ロボダッチ PART II フルチェンロボ No.2 スモウ
ロボダッチ PART II フルチェンロボ No.3 サッカー
ロボダッチ PART II フルチェンロボ No.4 ベースボール
1986(S61)?年 全2種 各500円
ヒーローセット1 アメリカンフットボール VS ホームランバッター
ヒーローセット2 ワールドサッカー VS 大よこづな
1989(H1)年発売 全4種 各500円
スポコンロボダッチ No.1 野球:ホームランの神様
スポコンロボダッチ No.2 サッカー:シュートの神様
スポコンロボダッチ No.3 すもう:横綱の神様
スポコンロボダッチ No.4 フットボール:ミサイルランナー
1993(H5)年発売 全4種 各600円
とびだせ!ROBODATCHi No.1 大相撲ロボ 横綱若貴
とびだせ!ROBODATCHi No.2 アメフトロボ ミラクルジョー
とびだせ!ROBODATCHi No.3 サッカーロボ ミッドフィルダーマン
とびだせ!ROBODATCHi No.4 野球ロボ Mr.(ミスター)ホームラン
こんなところでしょうか。
ここまであげても、ピッチャーやキャッチャー、はたまたランナーは出てきません。
穴の年代は、明らかに初期であるから、後期とは10年以上の隔たりがあることから、そこまで大幅な年代違いはないと考えられるので、本当にタマゴローの居ない第0期はあったのかもしれない。
また、伊集院さんは、スポーツオンリーの小箱4個1セットという説を唱えてはいるが、伊集院少年世代のころをみても1パック全部がスポーツ関連というものは存在していなく、ましてやタマゴローで埋めるということもない。
可能性として、5号 スモウロボ、6号 サッカーロボ、9号 フットボールロボ、10号 野球ロボ、34号 スキーロボ、35号 バーベルロボ、36号 テニスロボ、37号 アイスホッケーロボ、38号 ゴルフロボ、といったスポーツ物のバラを、店側が勝手に4個1パックにして、スポーツセットのようにして売っていた可能性もなくはないのでは、ということ。
抱き合わせでプラモを売るというのは、ガンプラの頃には確実にあったので、それ以前にあってもおかしくはない。
ましてやメーカーとして、パック売り、バラ売りをしていたロボダッチですから、店側が勝手に売れ残りを抱き合わせることも、あったのかもしれません。
もしくは、親が子どもへのプレゼントとして、スポーツ好きの子どもに、スポーツ物だけをピックアップして買ってくることも考えられる。
このへんは、我々幼少期・少年期の記憶違い、勘違いの可能性もあるということで、大人になった今としては納得は出来る。
というわけで、私はネーミングルールなども踏まえて、イマイのロボダッチではないと考え、サンコーのスポコンシリーズを重点的にネット検索してみたところ、見つかりましたのでリストにしてみます。
スポコンロボ アメラグ1号 キカンボー
スポコンロボ アメラグ2号 ナナハン
スポコンロボ アメラグ3号 ジャーマン
スポコンロボ アメラグ4号 タマヤン
スポコンロボ B PACK ベースボール1号 ワンタン
スポコンロボ B PACK ベースボール2号 ダッシュボン
スポコンロボ B PACK ベースボール3号 ピッチャン
スポコンロボ B PACK ベースボール4号 キャッチャン
スポコンロボ C PACK 大相撲一番 小結 でこ光(ひかり)
スポコンロボ C PACK 大相撲二番 行司 ロボ太夫
スポコンロボ C PACK 大相撲三番 横綱 ロボ秩父
スポコンロボ C PACK 大相撲四番 大関 太腹山(ふとっぱらやま)
スポコンロボ D PACK スキー ジャンピオン
スポコンロボ D PACK ローラー ロケットン
スポコンロボ D PACK ローラー ローラーボウ
スポコンロボ D PACK スケート コロ番長
スポコンロボ E PACK 応援団1回生 起田そうじ
スポコンロボ E PACK 応援団2回生 八年 学(はちねん まなぶ)
スポコンロボ E PACK 応援団3回生 土方剛肩(ひじかたごうけん)
スポコンロボ E PACK 応援団4回生 根性大学
画像は、黒歴史・・・なのかな?をご確認ください。
というわけで、穴の答えは、
SANKO(サンコー)の、ピッチャン、キャッチャン、ダッシュボンで、最後の1つはワンタンでした。
ワンタンはバッターで、王貞治をワンちゃんと呼ぶことから、そのままでは使えないので、ワンタンとしたのだと推測できます。
ウィキペディア調べでは、サンコーは1977(S52)年にプラモデルを作り始めているので、穴の時期と一致します。
まぁ、画像が出てきてますんで、間違いないでしょう。
それにしても、ロボダッチと紛らわしい4個パック売りです。
仮に、スポコンロボが、ロボダッチのパクリだと仮定して、パクられるほど人気があったロボダッチを作ったイマイでさえ、何度も倒産をしてしまうのであるから、昭和という時代は激動の時代だったのだ。
今にして思えば、プラモデル先行で、コミックスやアニメのマルチメディア展開が成功していれば、などと考えてしまう。
さて、私の中に新たな穴が空いてしまいました。
それは、番組中にあった、
バットをいっぱい持ってるやつ
グローブをいっぱい持ってるやつ
足がいっぱいあるやつ
ボールをいっぱい持ってるやつ
である。
これも探しました。
空から野球観戦だっち!と言ってるのが、ロボダッチの主人公的キャラクターのタマゴローです。
この一枚だけを見ると、カーダッチの様に、ロボダッチの別シリーズで野球ダッチを作ろうとしていたのかな?
放送中にあった、昔の中日ドラゴンズの帽子と言われているのは、攻撃側のDの帽子のチーム、守備側のRの帽子のチーム、胸のロゴからは、ロボダッチのROBOとDUCHであることも解る。
また、伊集院さんを含む初期のロボダッチファンは、野球ロボといったら、この画像でのバッター、一本足打法の王貞治をモチーフのものだけで、他の選手はプラモデル化されていません。
また、この画像を見たことがあるリスナーからしてみたら、ピッチャーがピッチャン、キャッチャーがキャッチャン、足が沢山あるのがダッシュボン、などと考えてしまうのも無理は無い。
そんな中、背番号8や、背番号55のロボダッチが見つかれば、他にもありそうだと穴が広がってしまうのも頷ける。
まさか、ロボダッチではなくて、サンコーのスポコンロボシリーズだったとは、ということです。
完全解決です。
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