最近、西武池袋線の車窓で、富士見台や石神井公園あたりで北側を見ると新しい塔のような建物を建設しているのが見える。
それが何物なのかがやっとわかった。
谷原の清掃工場の建て替え中で、新しい煙突部分の工事が見えたということです。
さて、練馬区民ならば、谷原の清掃工場以外にも、光が丘にも清掃工場があることはご存知だと思います。
この光が丘の清掃工場の煙突も西武池袋線の車窓からはよく見えるので、アレだとすぐにわかると思います。
さて、この谷原ですが、地元民でも読みが異なるという珍しい地名なのであります。
私は46歳ですが、「やわら」と読みますが、おそらく現在は「やはら」と呼ぶ人も増えてきているのではないでしょうか?
この地名で有名なのは、目白通り(放射七号:ほうしゃななごう、放七:ほうなな)で、我々世代では谷原の交差点として有名であり、三原台の温水プールは谷原の清掃工場の排熱を利用して温めていて、小学生の頃ははここまで自転車で泳ぎに来たものである。(現在は学園町に温水プールがあるためそちらのほうが近い)
さて、谷原の歴史を紐解くと、古くは戦国時代の末に、小田原衆所領役帳に石神井村内、谷原在家とある。
また、新編武蔵風土記稿には谷原村の項に小名として、箕輪(みのわ)、西原、北原、中通り、蕪ケ谷戸(かぶがやと)、七子竹(ななこたけ)の六つが記されている。
箕輪と言えば、箕輪陸橋が残っているし、この北原と西原と、もう一つの中原とから三原台という地名にもなっている。
さて、「やわら」から「やはら」への変更は、いつなのか?
1989(明治22)年:石神井村大字谷原(やわら)
1949(昭和24)年:練馬区谷原町(やわらちょう)
1965(昭和40)年:住居表示を施行し、練馬区谷原(やはら)
私が生まれる以前に住居表示を施行して「やはら」になっているにも関わらず、未だに「やわら」と呼んでいるし、私は今後も「やわら」と呼び続けることだろう。
そういえば、谷原には大きな体育館があって、私が柔道の昇段試験を受けて合格した場所でもある。
柔道の「やわら」とは関係がないのであしからず。
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新しい建築物
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