1889年の今日は、喜劇俳優であったチャールズ・チャップリンがイギリスで生まれた日だよ。
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チャップリンという人は喜劇役者だということは知っていても、映画のタイトルとしてはモダン・タイムスくらいしかしらないし、内容は全く覚えていません。
私は年に数回は映画館で映画を見てはいるが、喜劇と呼ばれるような映画は、昨今の映画では少ないように思える。
私が実際に映画館で見た映画で喜劇と呼んでも良いくらい劇場内で笑ったのは、テルマエ・ロマエくらいだろうか。
近々で見たオデッセイでもちょっと笑えるところはあったけどね。
日本の映画館では(海外で映画を見たことがないが)、本編が始まる前に、劇場でやってはいけないこととしていろいろ啓発的な映像が映画館毎にあったりする。
基本的におしゃべりは厳禁だとはしてはいるが、笑ってしまうことに対しては許してはいる。
それでも、日本では大笑いするということは出来ないのが現状だろうか。
海外の映画館では大笑いや大泣きなんてことは日常だそうですよ、私は知りませんがねw。
映画のストーリーや監督の思い入れや役者の思い入れとして、ここで大笑いないし、クスっとして欲しいなんてこともあるかもしれない。
それを拾えるか拾えないかというのも、映画の楽しみ方の一つだと思う。
しかし、笑いのツボとは人それぞれで、同じところで笑っている人、笑ってない人がいる。
また、海外の映画を字幕で見るのと吹き替えで見るのでも、笑ったり笑わなかったりということがあるかと思う。
ネイティブな人なら理解できる笑いが、字幕では笑えなかったり、吹き替えでは別のネタの笑いだったりすると、ちょっとばかり悔しい感じがする。
チャップリンの時代の無声映画であれば、映像だけがすべてであり、サイレントで笑える、つまりネイティブだとか国籍や文化や老若男女の違いを超越した笑いというものを映画で表現されていて、皆で楽しんだんだろう。
そういうことに貢献したのがチャップリンなのだろう。
例えば、今現在サイレント映画を作ったとして、チャップリンを超えるようなものが作れるだろうか。
と言われると、おそらく無理だろうと感じてしまう。
それは、映画が多様化して、それぞれが好きなジャンルというものが出来てしまったこと。
また、映画以外の娯楽も多様化していること。
それでも映画好きという人はいるわけで、どうにかこうにか映画という文化は生き残っている。
先に上げたモダン・タイムスという映画の公開は1936年で、丁度80年前に公開されたことになる。
サイレントでモノクロだったものが、音声が入り、カラーになり、アナログからデジタルになり、3Dだったり、4Dだったりと映画も進化している。
DVDをレンタルして見たい映画を見るということも良いのだが、今現在公開中の映画を映画館で見るということも年に何回はして欲しいところでもある(映画関係者でもないのにね)。
それは、映画という文化が廃れてしまうのが嫌なんだろうな。
チャップリンという人は喜劇役者だということは知っていても、映画のタイトルとしてはモダン・タイムスくらいしかしらないし、内容は全く覚えていません。
私は年に数回は映画館で映画を見てはいるが、喜劇と呼ばれるような映画は、昨今の映画では少ないように思える。
私が実際に映画館で見た映画で喜劇と呼んでも良いくらい劇場内で笑ったのは、テルマエ・ロマエくらいだろうか。
近々で見たオデッセイでもちょっと笑えるところはあったけどね。
日本の映画館では(海外で映画を見たことがないが)、本編が始まる前に、劇場でやってはいけないこととしていろいろ啓発的な映像が映画館毎にあったりする。
基本的におしゃべりは厳禁だとはしてはいるが、笑ってしまうことに対しては許してはいる。
それでも、日本では大笑いするということは出来ないのが現状だろうか。
海外の映画館では大笑いや大泣きなんてことは日常だそうですよ、私は知りませんがねw。
映画のストーリーや監督の思い入れや役者の思い入れとして、ここで大笑いないし、クスっとして欲しいなんてこともあるかもしれない。
それを拾えるか拾えないかというのも、映画の楽しみ方の一つだと思う。
しかし、笑いのツボとは人それぞれで、同じところで笑っている人、笑ってない人がいる。
また、海外の映画を字幕で見るのと吹き替えで見るのでも、笑ったり笑わなかったりということがあるかと思う。
ネイティブな人なら理解できる笑いが、字幕では笑えなかったり、吹き替えでは別のネタの笑いだったりすると、ちょっとばかり悔しい感じがする。
チャップリンの時代の無声映画であれば、映像だけがすべてであり、サイレントで笑える、つまりネイティブだとか国籍や文化や老若男女の違いを超越した笑いというものを映画で表現されていて、皆で楽しんだんだろう。
そういうことに貢献したのがチャップリンなのだろう。
例えば、今現在サイレント映画を作ったとして、チャップリンを超えるようなものが作れるだろうか。
と言われると、おそらく無理だろうと感じてしまう。
それは、映画が多様化して、それぞれが好きなジャンルというものが出来てしまったこと。
また、映画以外の娯楽も多様化していること。
それでも映画好きという人はいるわけで、どうにかこうにか映画という文化は生き残っている。
先に上げたモダン・タイムスという映画の公開は1936年で、丁度80年前に公開されたことになる。
サイレントでモノクロだったものが、音声が入り、カラーになり、アナログからデジタルになり、3Dだったり、4Dだったりと映画も進化している。
DVDをレンタルして見たい映画を見るということも良いのだが、今現在公開中の映画を映画館で見るということも年に何回はして欲しいところでもある(映画関係者でもないのにね)。
それは、映画という文化が廃れてしまうのが嫌なんだろうな。