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Channel: 円周率近似値の日に生まれて理系じゃないわけないだろ! - knifeのblog
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あれから5年

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黙祷


あれから5年という歳月が流れました。

まだ5年なのか、もう5年なのか、復旧や復興という言葉の意味を深く見つめなおしている。

元ある形に戻すことが復旧ならば、元の活気を取り戻すのが復興なのだろう。


父の故郷である宮城県気仙沼市魚町(さかなまち)の、私が知っている町並みは津波の被害にあっている。

道路などのインフラは復旧してはいるが、実家は崩壊し更地になり、災害危険区域に指定された場所には、民家や施設などを建築することができなくなっている。



実家のあった場所から海を望む。

宮城県気仙沼市魚町は、名前の通り、漁港であり港町である。

目の前に見えるカーフェリーは、気仙沼湾大島を行き来する。

その海岸まで50mにも満たない場所に実家はあり、津波が押し寄せたことは説明するまでもない。

この実家と道を挟んで向かいにある明治28年から続く老舗旅館大鍋屋本館は、現在も営業している。

私の曽祖父が逆算すると明治8年生まれだと思うので、大鍋屋さんとは長い付き合いがあったことになり、私も何度も泊まったことがある。

そのウェブページには、大鍋屋を撮影したものがあり、360度パノラマで確認することが出来ます。


さて、魚町は気仙沼市によると、災害危険区域には指定されていない。

それでも、そこに実家を建て直すかと言われると、既に実家を離れた父や、その子どもたちには、なんとも答えにくい質問ではある。

以前のような活気が訪れるよう、心より願うほかない。


三陸と津波というキーワードで、

明治三陸地震
1896(明治29)年6月15日
M8.2~8.5
最大遡上:38.2m(綾里湾)
死者:21,915
行方不明者:44
負傷者:4,398

昭和三陸地震
1933(昭和8)年3月3日
北緯39度7.7分、東経145度7分、M8.1
最大遡上:28.7m(現・大船渡市)
死者:1,522
行方不明者:1,542
負傷者:12,053

東北地方太平洋沖地震
2011(平成23)年3月11日
Mw9.1
最大遡上:40.1m(綾里湾)
死者:15,894
行方不明者:2,563
負傷者:6,152

のように見つけることができる。

私は、多少なりとも数学をかじっているが、こういう自然現象に対して、百年に一度とか、千年に一度という言葉をあたかも数学の確率の様に使いたくはない。

百年に一度の地震だから、この規模の地震はあと95年発生しないと誤った考えを持つひとがいるからである。

確かに三陸沖での地震による津波は多いということは、歴史を紐解けば解ることである。

相手は自然現象である。

すべての自然現象を完全解明するほど、人智は及んではいない。

しかし、ただ手をこまねいているわけにもいかないだろう。

自然の景観を損なわず、暮らしやすく、津波の対策も立てられるような、そんな都合の良い方法があればよいのだが、これに関しては部外者が口を出しても仕方がない。

厳しい言い方かもしれないが、その地で暮らすものが考えなければならないことだろう。


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