リアル友のブログで、清原の覚醒剤問題を上げている。
彼の記事の内容に真っ向反対するわけではないのだが、私なりの意見を書いておこうと思う。
彼の記事では、最後は打算で巨人入りして、嫌いになったと書いている。
彼が清原を嫌いになる理由として、巨人入りということについては、事実そうなんだろう。
でも、清原の巨人入りは打算ではないと考えている。
よく思い出して欲しい。
清原がドラフトで巨人への入団が叶わず涙した姿が、私の脳裏に焼き付いている。
清原の野球人生という歯車はあそこからズレ始めていたのではないだろうか。
桑田・清原のKKコンビは、私のひとつ上で、ほぼ同じ時代を生きてきている。
清原は、まだ容疑者である。
覚醒剤の使用を認めたとかそういうことは解らないが、仮に使用したとしたとして、私はそれについて擁護するつもりは毛頭ない。
だけど、前から思うんだよね。
ドラフトってなんだろうって。
ドラフトが必要な理由として、お金を持っている球団ばかりが良い選手を揃えてしまい、プロ野球がつまらなくなるから。
ふーん、という感じである。
でもね、よく考えてみようよ。
選手も行きたい、球団も欲しい、という相思相愛な状況で、それが叶わないというのはどうなんだろう。
そんなことで野球人生を狂わされるのは、たまったものじゃない。
ましてや、これまで野球一筋で高校3年間は、桑田はエース、清原は4番で、
1983年夏:優勝
1984年春:準優勝
1984年夏:準優勝
1985年春:ベスト4
1985年夏:優勝
清原個人に至っては、甲子園通算13本塁打と輝かしい成績を残しているのである。
これはドカベンの明訓高校に準ずる成績ですね。
因みに、ドカベンは1972年から1981年なので、ついにリアルがマンガに追いついたものだと思ったりもした。
当時、巨人が桑田を1位指名していたことから、ピッチャーを欲しかったのだろうことは解るが、清原は要らないという理由にはならない。
そういえば、清原は、覚醒剤撲滅のポスターになっていたように思う。
むしろ、今の清原の姿が、覚醒剤撲滅としての影響力は計り知れないというのが、なんとも皮肉である。
脳内麻薬と覚醒剤という麻薬。
ホームランを打つことで、脳内麻薬であるドーパミンが発生し、快楽を得たことだろう。
しかし、快楽というものは、同等の刺激では麻痺して快楽を得られなくなるのだろう。
伊集院光も言っていたが、ヒットより二塁打、二塁打より三塁打、三塁打よりホームラン、ソロホームランより満塁ホームラン、といった様により刺激的なものを欲するのだろう。
プロという世界は、想像を絶する過酷な環境であると推測することしか出来ない。
プロの選手ということは、誰しも精神的にタフであり、と思われがちだが、実際はそんなことはないのではないだろうか。
プロでも精神的に弱い人もいる。
実際の社会のにおいて、
精神的に弱くても結果を出す人も居る。
精神的に強くても結果を出せない人も居る。
つまり、精神の強弱という軸と、結果を出す出さないという軸の2軸という平面において、上記の2つの事象が存在するということを、改めて考えなければならないだろう。
もしくは、プロという過酷な環境は、高校までの野球とは違うものなのだとも言える。
プロで成績を残すということは、一般人が考えているプレッシャーよりもはるか上を行っているのだろう。
だからと言って、麻薬に手をだしていいということではないのは、いうまでもない。
さて、第一回ドラフト会議は1965年11月17日である。
それまでのプロ野球はつまらなかったのか?
確かに、1965年から1973年まで、巨人のV9時代が到来するのだけど、むしろ野球の人気が出たのは、巨人が強かったからではないだろうか?
巨人の星は、星飛雄馬が巨人以外に入団したら、どうなっていただろうか?
侍ジャイアンツは、番場蛮はセリーグ最下位の大洋ホエールズに入団するはずだったけど、タイトルにもあるように巨人に入団して活躍するが、大洋に入団していたら、当時としてリアリティはあったのだろうか、そして面白いと感じ得ただろうか?
これからも解るように、我々の世代の野球少年は、リアルでもマンガでもアニメでも、少なからずとも巨人へのあこがれがあったし、アンチ巨人もあこがれへの裏返しとも取れなくもない。
清原という野球人は、プロ野球選手になるという夢よりも、巨人の選手になるという夢のほうが強く大きくあったのだと、私は考えるのである。
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清原はまだ容疑者である
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