練馬区民ではあるが、埼玉県との県境に住んでいるものとして、野火止という地名を聞いたことがあるだろう。
また、野火止用水でも知られる。
新座郡(にいくらごおり)野火留村、現在の埼玉県新座市野火止である。
これが遠くは立川の方まで、野火止という名称を確認できる。
東村山市立野火止小学校
東京都東村山市恩多町5-47-1
野火止交番
東京都東久留米市野火止1-2
野火止用水から野火止という名称が点々と残ったのだろうが、そもそもは野火留村である。
野火止用水と命名するにあたって、野火留村の存在はそれほど大きかったのだろうか?
例えば、野火止用水の大半が野火留村にあったとかそういうことで、野火止用水と命名されたのだろうか。
そもそも、野火止という地名は、平林寺にある野火止塚から来ているらしい。
野火止という地名の由来は、平安時代、野火止あたりを収めていたのは藤原長勝(ふじわらのおさかつ)で、その娘・青前姫と在原業平(ありわらのなりひら)が関係しているらしい。
簡単に説明すると、業平と青前姫が駆け落ち?して、逃げたんだけど、それをあぶり出すために片山あたりの野に火を放ったわけです。
そこで青前姫が詠んだ句が、
武蔵野はけふはな焼きそ若草の
つまもこもれり我もこもれり
で、この句を詠んだところ、野の火は留まったことから、野火留、野火止となったという民話があるそうです。
この句の元となる句は古今集にあるらしく、伊勢物語でも使われているので、当時はかなり有名だったのでしょうね。
そう考えると、野火止という地名は、かなりビッグネームだったのかな?
それにしても、新座市野火止にないのに、東村山市立野火止小学校や野火止交番と命名するのは、どうなんでしょうか。
現に、新座市立野火止小学校は存在し、それぞれの小学校は、直線距離で8km程度、道のりにしても9km程度であり、志木街道や都道226号線とほぼ一本道で行けてしまい、車で30分程度と実に紛らわしい。
百歩ゆずって、野火止用水が出来て、その地名の小名が野火止とかになって、そこに小学校や交番が出来たというのであれば判らなくもないが、小学校の設立時期は、新座市立が昭和46年4月1日、東村山市立が昭和55年4月1日であるから、昭和の第二次ベビーブームの頃に出来た小学校であり、もっと古ければ納得もしたのだが・・・。
東久留米市の野火止交番に至っては、管轄は田無警察署ですから、もっとややこしいくないか?
新座市野火止には、新座警察署や新座駅前交番などある。
東村山にも東村山警察署はあるのに、地理的要因でもあるのか?
などと考えてしまう。
さて、野火止用水って必要だったのかは、私はよくわからない。
柳瀬川や黒目川ではダメだったのだろうか?
黒目川は今でこそ、クロメガワであるが、クルメガワの読みで、久留米川、来目川、久留目川、来梅川などの様々な漢字を当てられている。
また、柳瀬川も昔は、くめくめ川と呼ばれていたらしく、久米川村の由来ともされている。
柳瀬川がくめくめ川と呼ばれるのも武蔵七党の久米氏があの辺りを開拓したからという。
私はどちらかと言うと、川の名前が先にあったのではと考えてしまう。
黒目川が音から漢字を当てたとするならば、くめくめ川は久米氏ありきというのはどうもしっくりこないのですよ。
クロメ、クルメ、クメクメ、なんて元は同じなんじゃないのかと誰でも推測できるだろうに、などと妄想するのであった。
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野火止
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