※2014/06/28撮影
なぜだか、ピカチュウがお出迎え。
とりあえず、タクシーで気仙沼プラザホテルまで行く。
※2014/06/28撮影
このホテル、小高い山の上にあって、ロビーが2Fなんだけど、そこまではくねくねした急勾配の坂道を使うか、写真左のエレベータを使うことになる。
因みに気仙沼温泉は、ホテルの1Fなのですが、この写真では左奥で隠れてみえません。
チェックインは15:00からで、荷物を部屋において、親父と一緒に実家の方へ足を運ぶ。
※2014/06/28撮影 気仙沼から出航するフェリー亀山、右奥にドリーム大島が停泊している。
気仙沼市魚町と気仙沼湾大島を結ぶフェリーは、40分間隔で出ていて、フェリー乗り場には数台のタクシーが常時待機していた。
いざというときは、ここでタクシーに乗れるなと考えていた。
私も子どものころに何度も乗って、大島の亀山リフトとか、鳴き砂のある(鳴いてたかどうか覚えていない)海岸で海水浴した思い出がある。
しかし、本来あったフェリーのりばは、もっと実家よりだったはず。
更に歩を進める。
※2014/06/28撮影 停泊中のドリーム大島
詳しくは、大島汽船で。
こっち側には、公園があって、そこでよく遊んでいたり、フェリーを眺めていたりした。
その公園は昔の面影は残っていなかった。
あの冷たい石のベンチがお気に入りだったのになぁ。
その公園から数メートルのところに実家があった。
今でも残っているもので説明するならば、大鍋屋という旅館の道を挟んで反対側で、銀の目やシルバーアイといえば、地元民なら解ってもらえるし、私の苗字もそれでバレてしまうのね。
何度か親父と昔の話をしたが、古くは米屋?で、豆腐屋、パチンコ屋(このころから屋号?がシルバーアイになる)、ディスコ?、カラオケスナック?などと変わっていった。
住居は二階で、パチンコ屋時代やディスコ時代は、子ども心に、下の店の音が気になっていました。
パチンコ屋だったときは、震災前に亡くなった伯父さんがパチンコ台の釘の調整をしていたり、まだレバーで弾くタイプのパチンコ台が多く、確か羽根物のゼロ戦のやつとかやらしてもらったなぁ。
そうそう、床においているパチンコ球を拾い取るのに、ゴルフのパターのような先端が磁石になっているのがあって、それで回収するんだよ。
ディスコ時代は、コーラの王冠の裏にスーパーカーが印刷されているときで、大量にもらったっけな。
懐かしい思い出である。
さて、すこし話を戻して、葬式や法事など親戚が集まるような場合は、実家では当然入りきりませんので、向かいの大鍋屋での宿泊となるのです。
最後に泊まったは13年前かな。
大鍋屋
明治28年(西暦1895年)創業だそうです。
さてさて、親父の同窓会の時間が16:00からということなので、ホテルへ戻り、親父を置いて、もう一度外へ出た。
何をしに出てかというと、先祖代々のお墓の下見です。
つづく
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気仙沼紀行 その4 気仙沼編
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