宮城県南三陸町の2011年と2020年の比較写真がネットに出回っている。
ここまで復興したかと取るか、ここまで変貌したかと取るか、良し悪しの結果が出るのはしばらくかかるだろう。
父の実家がある宮城県気仙沼市はどうなっているのあろうか。
祖父の土地について、いろいろとやりとりして、去年の11月に出した封筒で、完全に終了して、祖父の遺産相続はすべて終わりました。
別に、祖父が3.11震災で亡くなって、遺産相続をしたわけではありません。
祖父は私が小学2年生のときになくなりましたので、かれこれ45年も前の話しで、実家に居た長男である父の兄は震災前に亡くなっており、幸いなことに震災で親戚が亡くなったということはありません。
父はコロナ禍前の2017年に亡くなっています。
震災によって、父の実家のあった場所は壊滅して更地となって、その土地の相続権は私にはありませんが、震災によって祖父の所有していた僅かな土地が見つかり、その所有権をどうするかという話しでして、片手で余るほど、気仙沼市とは封書のやり取りをして、相続権のある人間すべてに同様の封書をやり取りしていて、私、母、弟にまったく同じ物が届いていました。
相続って結構面倒なんですよね。
なにせ、父の相続の一切合切を自身一人ですべて完遂しましたので、その大変さは身にしみて解ります。
実家が無くなっている以上、気仙沼に帰るというか、行くというのはよっぽどのことがない限り難しいかなと思う。
復興しているというのは有り難いことなのかもしれませんが、震災前の状況を知っているものからすると、あまりに変わり果てた姿を見るというのは、辛い場合もあるということです。
気仙沼湾横断橋(かなえ大橋)とか、気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)とか、見てみたいというのはあることはあるのだが、防潮堤も見ることになってしまうんだよね。
住民は前を向いているが、気仙沼を出た人間の方が、案外感傷的になっているのかもしれない。
ではでは
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南三陸町の震災直後と現在
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