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Channel: 円周率近似値の日に生まれて理系じゃないわけないだろ! - knifeのblog
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江戸時代の円周率

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午後のひとときに、江戸時代の円周率について書いてみようかと思う。


日本では江戸時代に和算という日本独自の数学が花開いた時代です。

特に面白い問題、未解決問題などが、算額として神社などに奉納されていたりします。

算額で多いのが図形問題。
特に、円が出てくるものを多く見かける。

では、江戸時代の円周率はどのような値が使われていたのか、
もっというと、どのような計算方法で求めていたのか、
という疑問が湧いてきたので、調べてみました。


割算書(1622年/元和8年) 毛利重忠 3.16


塵劫記(1627年/寛永4年) 吉田光由 3.16


竪亥録(1639年/寛永14年) 今村知商 3.162

算爼(1663年/寛文2年) 村松茂清 3.141592648777698869248

円の内接正多角の周の長さを、正4角形、正8角形、正18角形、正64角形、と増やし、最終的には正32768角形まで求めたようです。

括要算法(1712年/正徳2年) 関孝和 3.14159265329

綴術算経(1722年/亨保7年) 建部賢弘 3.141592653589

方円算経(1739年/元文4年) 松永良弼

 

算法少女(1773年/安永2年) 上記と同内容。


方円算経について、現代の数学の記法に置き換えてみると、


a[0]=3

a[n]=a[n-1]・
(2n-1)2
4・2n・(2n+1)
π=

Σ
n=0
a[n]


当時は無限和ではなくて、100までやっていたようです。

上記のように記述してしまうと解りにくいので、a[n]の実際の値を示すと、

a[0]=3

a[1]=
3
4
12
2・3
3
4・3
1
2
a[2]=
3
42
12・32
2・3・4・5
3
42・5
1・3
2・4
a[3]=
3
43
12・32・52
2・3・4・5・6・7
3
43・7
1・3・5
2・4・6

a[n]=
3
4n・(2n+1)
(2n-1)!!
(2n)!!


と分母分子が約分されて、分母には偶数階乗、分子には奇数階乗という綺麗な形を残して、他を外に出すように記述でき、円周率はこれらの総和より、
 

π=

Σ
n=0
3
4n・(2n+1)
(2n-1)!!
(2n)!!


となる。

これはかなり興味深い計算式です。

因みに、n!!は、n階乗したものを更に階乗するという意味ではなく、
nが偶数ならば、n以下の正の偶数だけをすべて掛ける。
nが奇数ならば、n以下の正の奇数だけをすべて掛ける。
ということですので、間違わないように。

実際に計算してみると、結構な速さで収束していきます。

多倍長電卓LMで計算させてみたところ、a[100]までの総和は、
3.1415926535897932384626433832795028841971693993751058209749445921367643116…
と小数点以下63桁まで等しい値を示しています。

 


この記事と照らし合わせると、第2レースに組み込まれる計算式になります。
マーダヴァや階乗型連分数よりは収束が速く、ブラウンカーやマチンなどのarctan系やらラマヌジャンよりは遅いというところです。

世界的にみると、マチンの公式が1706年なので、arctanによる円周率の計算をやっていた時代ですが、鎖国をしていた日本の和算がここまで精度が良いものとは思っても見ませんでした。

和算家たちは3.14を提唱して、一度は江戸幕府も3.14としたのだが、庶民には塵劫記の影響が強かったのか、10≒3.16固執したのか、3.16を使っていたようです。

ゆとり教育時代の円周率3もあって、なんで逆行したり、揺れたりするんだろうか。


ではでは

 

 


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