午後のひとときに、虫の声について考えてみる。
日本人特有の感覚なのか、日本人は虫の声、虫の音、虫の鳴き声などと古くは奈良時代や平安時代から楽しんでいたようです。
夏はセミ、
ミンミンゼミ、クマゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシ、ニイニイゼミ、など鳴き声の違いで分類したりしている。
秋は秋虫、
スズムシ、マツムシ、コオロギ、キリギリス、クツワムシ、ウマオイ、カネタタキ、カンタン、…
一口にコオロギといっても、エンマコオロギ、オカメコオロギ、ツヅレサセコオロギ、などの聴き分けもしたりする。
セミは腹部の筋肉と発振膜や共鳴室を使って鳴いていて、秋虫は主に羽をこすり合わせて鳴いているので、原理が違います。
他にも、後ろ足と羽をこすり合わせるパターンもあります。
というわけで、これらの虫に声帯があるわけではないので、厳密には声じゃなくて音なんでしょうが、日本人の感性には声と捉えられたということなのでしょう。
「祇園精舎の鐘の声」と平家物語の冒頭にも見られますように、こちらは生物ですらない鐘ですので、日本語を母語とする日本人の持つ独特の感性ということですね。
不思議なもので、日本語を母語としない人には、これらの音は雑音として認識され、更には聴こえない、認識されていないという状況になっていたりもするようです。
日本語って不思議だよなぁ。
ではでは