英語圏の人間にとって、日本と中国の違いの認識なんて、そんなものなのかもしれない。
それは、我々が外国の違いを軽視しているわけではないのに、間違ったりするのと大差はない。
しかし、一国のトップや、国際機関のトップが、国の名前を間違えるということは、どれだけ失礼なことなのかということだ。
カナダのトルドー首相、ニュージーランドのアンダーソン首相、そして、今回のIOCのバッハ会長。
一般人が間違えるのとは訳が違う。
間違いは誰にでもあるかもしれないが、
場合によっては許されるものではないだろうし、
それくらいの認識でしかないと言われても致し方ないということだ。
日本の東京での夏季オリンピックの次は、中国の北京での冬季オリンピックだから、頭の片隅に中国があったのは解らなくもないけれども、それでも今回の間違いは駄目だろう。
そもそも、東京オリンピックなのに、特定の競技を札幌でとかゴリ押しするくらいの認識しかない連中だからなぁ。
まぁ、前回の東京オリンピックの後に生まれた私なのに、本来ならば一番望んでいてもおかしくない世代だったはずなのに、オリンピックに興味がなくなってしまっているというのも、ある意味問題ではあるのだろうが、失望させる方向に向かわせているのは我々ではない。
金がなきゃオリンピックを開催出来ないし、このコロナ禍でという二重苦の中でとなると、オリンピック開催による好景気も望みづらい。
さて、こんな状況はしばらくは続くだろうが、これでもオリンピックをやりたいと手をあげる、手をあげられる国は、いったいいくつあるのだろうか。
もう、オリンピックである必要性も薄れている。
なぜならオリンピックだけがスポーツの世界大会ではないからだ。
残念かもしれないが、もうオリンピックはオワコンなのだろう。
あくまでも私の個人的な意見なので、反論されたとしても返答はしないだろう。
ではでは