そう言えば、自分がアメブロ以前に書いていたブログでは、料理のレシピとか毎日のように書いてたんだけど、アメブロではほとんどやってこなかったんだな。
先日、母に頼まれて、自分が骨付き鶏もも肉のコンソメ煮を作ったんだ。
だけど、このタイミングで弟がくKFCを買ってきてたんだよね。
そしたら、もっとタイミング悪く、母親が俺に晩御飯のおかずを作らせていたことも忘れて、鶏唐揚を買ってくるという、鶏肉料理が3種類も並んでしまったわけです。
あー、やっちまったなー
男は黙って食う?
うちの家族はKFC大好きなんですよ。
みんなそれから食べちゃうわけで、味の濃い方を先に食べたら、コンソメ煮も美味しく出来ているのに一人数本で、半分以上残ってしまい、鶏唐揚は至ってはまだまだ残っている状態。
明日もコンソメ煮と唐揚げが続くのは勘弁して欲しいと思い、上記写真のカレーに大変身させたわけです。
コンソメ煮の段階で、多少は骨離れをするところまでは煮ていたんだけど、軟骨が簡単にぽろりと剥がれるところまでは煮ていないというか、そういう調理をしていない。
カレーにするんだからと、フライパンから寸胴へ移し、寸胴の半分くらいまで水を入れ、黒酢を結構入れて煮込んだ。
自分の感覚では、お玉に半分くらいは入れたけど、骨付き鶏もも肉1本に対して、小さじ1杯程度だろうか。
コンソメ味のスープの味を見ながら、酸味を感じるか感じないかギリギリくらいまでは黒酢を増量しました。
なぜ黒酢?と思われるだろうが、コンソメ煮が酸味があったら嫌だけど、カレーが多少酸味があっても、東南アジア系のカレーっぽくなって美味しかったりする。
という理由ではなくて、別に東南アジア系のカレーにしたいわけじゃなくて、もっと骨離れを良くしたいからです。
あと、黒酢じゃなきゃダメってわけじゃなくて、米酢でも、すし酢でも、リンゴ酢でもなんでもいいんだけど、キッチンのシンク下の収納スペースに、こんだけ酢が揃っていたけど、今回は黒酢を選んだだけ。
カレーだからリンゴ酢でも良かったかもしれん。
まぁ、その日の気分だろうな。
肝は黒酢を選んだ理由じゃなくて、なんで酢を入れたかです。
カレーを食べてて、骨付き肉だったらスプーンでどうにかして食べなきゃならないわけで、そこで手づかみなんてしたら手がベトベトで大変ですよ。
まぁ、写真を見ていただければわかるが、オタマで持ち上げただけで、左下の鶏肉の骨が顕になっています。
お酢の力ですね。
お酢が骨と肉の隙間に入って骨のカルシウムを溶かしているらしいです。
理系だからと言って化学が得意というわけじゃないんで、
まぁ料理は得意ですよ。
料理は旨いか不味いか、美味しそうか不味そうか、食えるか食えないかくらいに気楽な感じです。
骨離れがよく、軟骨もコリコリして美味しいです。
せっかく骨付き肉のカレーなので、軟骨を食べなきゃ骨付きの意味がないですよね。
カレーなら3日続いても平気なので、今日の昼もカレーかな。
とは言っても、もうルーしか残ってないんで、トーストにカレーを付けて食べるかな。
さて、コンソメ煮はどうにかなったけど、唐揚げをどうしようか?
またお酢を使って甘酢あんかけにでもしましょうか。
ではでは
なんか、自分のブログの方向性ってメチャクチャですよね。
数学とかプログラミングとかコンピュータとかカメラとか音楽とか言語とか暦とか料理とか、どれか一つに絞れとか言われそうですけど、どれも下手の横好きなんで、どれかに特化してしまうと自分ではなくなりそうなんです。
「多趣味は無趣味」なんて諺?格言かな?があるけど、
「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということなんでしょうね。
おそらく、どれも中途半端に終わって、成果が得られないということなんでしょう。
それよりも「好きこそのもの上手なれ」ですよ。
成果主義も大事だけど、自分自身が満足出来るか出来ないか、それも成果の一つでしょ。
満足出来ないのも負の成果と考えれば、何が満足出来なかったのかを考えるわけで、次はこうしてみようといったことを思うわけで、思考停止が自分に取って一番やっちゃいけないことなんです。
まぁ、一旦保留して、別のことを考えたりはしますけどね。
何事も完璧なものが完成してしまうと、そこで情熱が冷めてしまうんです。
多少未完成なところが残ってるくらいが、自分のモチベーションが保てたりします。
まぁ、50年も自分と付き合ってきた現時点での結論かな?
なんてねw
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久々に骨付きチキンカレーを作ったった
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