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Channel: 円周率近似値の日に生まれて理系じゃないわけないだろ! - knifeのblog
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中杉通り

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昨晩の友のラジオで、ある通りの名前が出てきた。

東京都道427号瀬田貫井線の一部の一般名称である。

地元の目白通りから南下すると、
西武池袋線中村橋駅を潜り、
千川通り(439)と交差し、
新青梅街道(440)と交差し、
西武新宿線鷺ノ宮駅横の踏切を渡り、
早稲田通り(25)と交差し、
JR中央線阿佐ヶ谷駅を潜り、
東京メトロ丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅、
青梅街道まで。

環七と環八の間を通る道で、我々大泉の人間でも、知っている道である。

しかし、昨日のラジオで判明した以外な事実。

私が物心つくころから、この道を「ちゅうすぎどおり」と言っていたし、まわりの人もその呼び方をしていた。

しかし、彼は「なかすぎどおり」だと言う。

ネットで調べると、どうやら「なかすぎどおり」が正しいようなのですが、なぜにこんな間違いをおかしていたのであろうか。

混乱の元は、中央大学杉並高校で間違いないだろう。

中杉通りから見ると、西に環八があり、その外側に中央大学杉並高校がある。

この高校の名前は、「ちゅうおうだいがくすぎなみこうこう」で、通称「ちゅうすぎ」である。

道の名前よりも先に、こちらを知ってしまっていると、中杉通りは「ちゅうすぎどおり」になってしまったのも頷ける。


ところで、なんで中杉通りなのだろうか。


中央大学杉並高校があるからではない。


中野区と杉並区をつなぐ道路だからか?

そもそも中野区と杉並区の位置関係から考えると、そうとは考えにくい。


中杉の中は、古くは中村ないし中新井村(中荒井村)の中だと考えるのが良いのではないだろうか。

その時代背景で考えると、中杉の杉は、青梅通り沿いの杉並という小名が多いことから、現・阿佐ヶ谷南1~2丁目に明治22年頃にあった阿佐ヶ谷村杉並の杉なのか?

しかし、起点や終点の字から通りの名前を付けるとは考えにくい。


さて、今でこそ、東京メトロ丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅があるが、古くは都電杉並線が走っていた。

都電杉並線の停留所に杉並区役所がある。

ちょっとまて、練馬区民や中野区民が、杉並区役所に行けても意味が無い。

確かにその通りだが、杉並区役所という停留所が、中杉通りの起点・終点であるならば、もう一方の起点・終点も停留所なのでは?と考えたのである。

当然、西武池袋線の中村橋駅である。

都電杉並線が1921年(大正10年)開業、
中村橋駅は1924年(大正13年)開業、

調べてみると、都電杉並線はもともと西武軌道線で、東京都が買収したのでした。

中村橋駅が出来た当時は、西武池袋線ではなく、武蔵野鉄道武蔵野線ですからね。


などなど、いろいろ考えてみましたが、これは私の頭の中であって、真実がどうなのかは解りません。

はたして、真相はいかに。

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