毎年毎年、懲りもせず、一年を象徴する漢字を一文字で表現しようとしている。
今年は「北」
そろそろやめたほうがいいんじゃないかなぁ
どうしても、漢字の様な表意文字は、良い意味、悪い意味というような差別的なことも考えられなくもない。
アルファベットの様な表音文字単体で、この文字は良い意味があるとか、悪い意味があるとか、あまり聞かないよね。
非英語圏の日本においては、かっこいいとか、かっこ悪いとか、そういうところだろうし、非漢字圏の海外からしたら、漢字はかっこいいとか、かっこ悪いとか、そういうことですよね。
さて、北とか端とか下とか、昔の日本では、あまり良いイメージはなかったようです。
私の地元、練馬区の大泉エリアでは、この北や端や下を忌み嫌った歴史があります。
昔々、3つの村が合併して現在の大泉エリアとなります。
橋戸村、小榑村、土支田村です。
地元民ならば、土支田という地名は聞いたことがあるかと思います。
あの土支田と、大泉エリアの土支田は、昔は土支田村という大きな村でした。
大きな村は上組、下組に分けられました。
土支田村も例外ではなく、上土支田村と下土支田村に分けられます。
現在残っている土支田は、下土支田村のあった場所です。
なぜ下が消えたのでしょうか?
明治22年、町村制施行に伴い、明治の大合併が起こります。
上石神井村、下石神井村、谷原村、田中村、関村が合併し、石神井村となります。
上土支田村は、この石神井村に編入されます。
上練馬村は、下土支田村を編入し、上練馬村となります。
おそらくは、この段階で下土支田村は、土支田という字名で残ることとなります。
一方、小榑村と橋戸村が合併し、榑橋村となります。
明治24年、石神井村は、編入した上土支田村を分離し、榑橋村と合併し、大泉村となります。
昭和7年、大泉村は北大泉町、東大泉町、西大泉町、南大泉町、大泉学園町の5町に分立する。
昭和55年、住居表示により、現在に至る。
現在の地理で言えば、
大泉町≒橋戸村
東大泉≒上土支田村
西大泉+南大泉+大泉学園町≒小榑村
といったところです。
現在の大泉町は、もともとは北大泉町で、その前は橋戸村でした。
これはイメージ戦略の何者でもありません。
悪く言えば、北を忌み嫌ったということです。
大泉エリアの、北大泉町が北を取り除いて大泉町になると、いかにも中心地でありますよ、となってしまいます。
これ幸いなことにか、大泉ICは大泉町にあります。
この大泉ICの建設工事が行われ、工事中に遺跡がでちゃって、工事が大幅に遅れたりもしました。
遺跡が出るということは、それなりに歴史がある土地ということなのにね。
私は、イメージ戦略で地名を付けるのは、あまり好ましくないと考えている。
「名は体を表す」というが、その名が付くには理由がある。
あまりに良いイメージの名前が付けられていると、逆に悪いことがあったんだと勘ぐるのが、正しい認識という考えが、どんどん増え広がっていくことになりかねない。
今年の漢字は、お遊び程度で考えるのが良いのだろうな。
今年は「北」
そろそろやめたほうがいいんじゃないかなぁ
どうしても、漢字の様な表意文字は、良い意味、悪い意味というような差別的なことも考えられなくもない。
アルファベットの様な表音文字単体で、この文字は良い意味があるとか、悪い意味があるとか、あまり聞かないよね。
非英語圏の日本においては、かっこいいとか、かっこ悪いとか、そういうところだろうし、非漢字圏の海外からしたら、漢字はかっこいいとか、かっこ悪いとか、そういうことですよね。
さて、北とか端とか下とか、昔の日本では、あまり良いイメージはなかったようです。
私の地元、練馬区の大泉エリアでは、この北や端や下を忌み嫌った歴史があります。
昔々、3つの村が合併して現在の大泉エリアとなります。
橋戸村、小榑村、土支田村です。
地元民ならば、土支田という地名は聞いたことがあるかと思います。
あの土支田と、大泉エリアの土支田は、昔は土支田村という大きな村でした。
大きな村は上組、下組に分けられました。
土支田村も例外ではなく、上土支田村と下土支田村に分けられます。
現在残っている土支田は、下土支田村のあった場所です。
なぜ下が消えたのでしょうか?
明治22年、町村制施行に伴い、明治の大合併が起こります。
上石神井村、下石神井村、谷原村、田中村、関村が合併し、石神井村となります。
上土支田村は、この石神井村に編入されます。
上練馬村は、下土支田村を編入し、上練馬村となります。
おそらくは、この段階で下土支田村は、土支田という字名で残ることとなります。
一方、小榑村と橋戸村が合併し、榑橋村となります。
明治24年、石神井村は、編入した上土支田村を分離し、榑橋村と合併し、大泉村となります。
昭和7年、大泉村は北大泉町、東大泉町、西大泉町、南大泉町、大泉学園町の5町に分立する。
昭和55年、住居表示により、現在に至る。
現在の地理で言えば、
大泉町≒橋戸村
東大泉≒上土支田村
西大泉+南大泉+大泉学園町≒小榑村
といったところです。
現在の大泉町は、もともとは北大泉町で、その前は橋戸村でした。
これはイメージ戦略の何者でもありません。
悪く言えば、北を忌み嫌ったということです。
大泉エリアの、北大泉町が北を取り除いて大泉町になると、いかにも中心地でありますよ、となってしまいます。
これ幸いなことにか、大泉ICは大泉町にあります。
この大泉ICの建設工事が行われ、工事中に遺跡がでちゃって、工事が大幅に遅れたりもしました。
遺跡が出るということは、それなりに歴史がある土地ということなのにね。
私は、イメージ戦略で地名を付けるのは、あまり好ましくないと考えている。
「名は体を表す」というが、その名が付くには理由がある。
あまりに良いイメージの名前が付けられていると、逆に悪いことがあったんだと勘ぐるのが、正しい認識という考えが、どんどん増え広がっていくことになりかねない。
今年の漢字は、お遊び程度で考えるのが良いのだろうな。