絶滅の日は近い? バンクーバーがドアノブ禁止令
握れるうちに握っておきましょう。くるっと回すドアノブ…が、カナダのバンクーバーで全面禁止に..........≪続きを読む≫
元記事
ユニバーサルデザインというものがあって、万人が普遍的に使える環境やモノをつくろうということなんだけど、志はよいのだが、つまらない世の中になりそうとか、なんか落とし穴がありそうだななどと考えていた。
「ロン・メイスの7原則」というのがあって、
1) どんな人でも公平に使えること(公平な利用)
1) Equitable use
2) 使う上での柔軟性があること(利用における柔軟性)
2) Flexibility in use
3) 使い方が簡単で自明であること(単純で直感的な利用)
3) Simple and intuitive
4) 必要な情報がすぐに分かること(認知できる情報)
4) Perceptible information
5) うっかりミスを許容できること(失敗に対する寛大さ)
5) Tolerance for error
6) 身体への過度な負担を必要としないこと(少ない身体的な努力)
6) Low physical effort
7) アクセスや利用のための十分な大きさと空間が確保されていること(接近や利用のためのサイズと空間)
7) Size and space for approach and use
ここには年齢や性別、健常者と障害者という線引もなければ、コストについての言及もない。
例えば、男子トイレ、女子トイレ、多目的トイレが3つが並んである光景ってのは、ユニバーサルデザインの考えからしたら、男子トイレ、女子トイレというのは不要なのだろうか?
例えば、ユニバーサルデザインのエレベータさえ設置すれば、階段やエスカレータは不要なのだろうか?
例えば、ユニバーサルデザインの右利きでも左利きでも使えるハサミさえあれば、他のハサミは不要なのだろうか?
万人に配慮というのが、どうにも気持ち悪く感じる。
万人に配慮したものを作るのは良いことなのかもしれないが、万人が隔たりなく使ってくれるのかという疑問がある。
万人に配慮したものが、結局は一部の人間だけしか利用しないならば、それは万人に配慮したことになるのだろうか?ということである。
ならば、最初からある程度の区別はして、その中での最良の環境なりモノなりを作ればよいのではないだろうか?
方や、チャイルドレジスタンスといったものもある。
子どもが簡単に火を付けることができなくなった使い捨てライターとかです。
今回のバンクーバーのドアノブも、今後は従来のドアノブが使えなくなり、レバー式のものに置き換わっていく。
なんだろうね、この説明しにくい感情。