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Channel: 円周率近似値の日に生まれて理系じゃないわけないだろ! - knifeのblog
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上り坂と下り坂はどっちが多いのか?

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上り坂と下り坂、どっちが多いのか?

どちらかが多いのであれば、その理由を。

等しいのであれば、その理由を。

それぞれ考える。


まず、坂があったら、それは上り坂・下り坂を考える前に、坂であるという認識がある。

それが上り坂であるか、下り坂であるかは観測点と向きの関係で決まるのだろう。

坂には、坂の下と坂の上があって、

坂の下から坂の上をみれば、上り坂。
坂の上から坂の下をみれば、下り坂。

であるから、上り坂と下り坂の数は等しい。


とういう結論は誰でも導き出せるだろう。


しかし、思考停止は危険である。

安易に結論づけて終わらせるのではなく、多角的に考え続けることが大事である。

と常々感じている。


では、坂とはなんだろう。

何らかの定義がなされていることだろう。

それは角度なのであろうか?

人間の感覚なのであろうか?


上り坂、下り坂というからには、人が上り下りするのだろう。

つまり、人が行き来するのであるから、端的に言えば道である。

獣道かもしれないし、舗装された道かもしれない。

ある程度の距離に高低差が生じている道を坂道と呼ぶのだろう。


高低差とは何か。

それは、地球の中心からの絶対的な距離の差である。

つまり、標高ないし海抜という単位での差とするとわかりやすいのかもしれない。


では、ここに広い平面の頑丈で歪まない表面がつるつるの鉄板があったとしよう。

この鉄板を、地球上の出来るだけ平らなところの上に傾かないように設置したとする。

鉄板と地球との接点は、当然坂ではない。

その接点の上から、転がりやすいボールなどをある程度遠くに飛ばしたとすると、どの方角へ飛ばしても、鉄板の上に落下したならば、重力に従い接点の方へ戻ってこようとする力が働くのではないだろうか?

平面である鉄板であるからこそ、接点が一番標高が低く、接点から離れれば離れただけ標高が高くなる。


平面なのに高低差が生まれてしまうのである。


つまり、接点から見たら、平面の鉄板上を移動するということは、どの方角であろうと上り坂になってしまうということである。

もし上記が解りにくいならば、人間を超巨大化するか、地球を超極小化すると考える。

例えば、一番わかり易いのがドラゴンボールの界王星くらいの感覚ではどうだろうか。

球面上で平面の鉄板の上を歩く感覚で、まず右足を一歩踏み出すとすると、その右足は、軸足である左足よりも僅かに沈み混むはずである。

つまり、脳内では下っている感覚になると推測される。

そう考えると、山があろうが谷があろうが、下り坂のほうが上り坂よりも多いと考えられないだろうか?


などと、妄想を繰り広げている。

この論理が正しいのか、間違っているのか、異論、反論はあるかとは思う。


地球は人間に対して、かなり巨大であるから、平面も球面もほぼ同等の感覚であろう。

つまり、一般的に考えれば、上り坂も下り坂も等しい数だけ、等しい距離だけ、等しい面積だけ、存在するのだろう。

一般的に考えればね…

数学的、物理学的、統計学的、地理学的、文学的、…

それらの導き出した答えが、異なっていても不思議ではない。

人間の数だけ、答えがあって良いのではないか。


しかし、私は考え続けるのである。

その時点での結論はでるが、永遠に結論は出ないのかもしれないけど…


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