父の故郷である宮城県気仙沼市は、東日本大震災により壊滅的な被害を受けた。
去年の6月に、やっと気仙沼へ行けた。
その記事の文面では、出来るだけ明るく気丈に振舞っているが、更地になった実家の敷地をみると悲しいものである。
日本人は自然災害に対して、不可抗力であると考える傾向にあるが、だからと言って悲しくないわけではない。
予知が難しい自然災害に対して、人類はどこまで対応すれば良いのだろうか。
10年に1度、100年に1度、1000年に1度、などと確率や統計を論じたりする。
しかし、1000年に1度の自然災害が起きたら、あと1000年は起きないという意味ではない。
1000年前に同程度の自然災害が起きていたから、統計的に1000年に1度と言ってるにほかならない。
復旧と復興は違う。
道路などが復旧しても、その土地が復興するとは限らない。
ましてやバブルを経験していたりすると、厄介である。
漁村が漁村として復興するには、観光地が観光地として復興するには、それぞれ復興への方向性は異なるだろう。
例えば景観に重きを置く観光地に、津波対策だと言って、大きな防波堤を作るというわけにはいかない。
だからといって、漁村であればそれが通るかというと、実はそんな簡単なものでもなかったりする。
漁村では、住居を山側へ移したりするも、そのことが漁村として繁栄を続けにくい環境となってしまったりする。
とにかく難しい問題である。
黙祷
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東日本大震災から4年
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