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日本という国はそもそも安全だったのだろうか

昨日の安倍晋三銃撃事件。

報道内容はあまり信用しないのだが、銃撃されたということは間違いのない事実である。

日本は法治国家であり、言論の自由のある国であり、銃が規制された国でもある。

そんな一国の元総理大臣が、演説中に背後から散弾銃のようなもので、左胸と首の2箇所を撃たれ、心肺停止で運ばれる。
昭恵夫人が現地に入るのを待って、死亡が伝えられた。


ここは日本だよな。
なんでこんな事件が起こってしまうんだろうか。

気に入らない政党、気に入らない議員、もっと言えば気に入らない人間なんてのは誰でも一人くらいは居るだろう。

だけれども、人を殺すという行為は決して許されるものではない。

元海上自衛隊隊員だとか、そんな経歴は何の意味も持たない。
犯罪者の感情や気持ちなんてものを理解したいとは思わない。
それは自分が生きるためという大義名分があるならば、野生の自然界では通用するのかもしれないが、彼らは自分が生き延びるため以上の殺生をするわけではない。

日本は各国に比べて安全だなんて言われるが、安全かどうかを各国で比べて、あそこの国より安全で良かったとかそういうことでもない。

そんな相対的な比較で安心するというのは違う。
絶対的な安全な国家は理想論なのだろうか。

伊藤博文が狙撃され、
ジョン・F・ケネディが狙撃され、
安倍晋三が狙撃される。

これはドラマでもなく、バーチャルでもなく、紛うことなき現実である。

日本における2021年の発砲事件は10件、死者1名。

各国と比べて多い少ないって話しをしたいわけではなく、

日本は銃を規制している国家である。
にもかかわらず、発砲事件が10件も発生していて、死者が出ている。

10件しか発生していないではなくて、10件も発生しているである。

相対的な目で捉えてはダメだ。
絶対的な目で捉えないとダメだ。

日本国民であれば誰でも知っているであろう安倍晋三元総理が狙撃されたのである。

安全ってなんだろうか。
自由ってなんだろうか。
平等ってなんだろうか。
公平ってなんだろうか。
平和ってなんだろうか。
理想ってなんだろうか。
現実ってなんだろうか。
生きるってなんだろうか。
死ぬってなんだろうか。
殺すってなんだろうか。
殺されるってなんだろうか。


今一度考える必要があるだろう。


ではでは


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