豊島区生まれ、練馬区育ちの私です。
このタイトル、私が書かなければならないでしょうね。
豊島園が閉園してしまっているが、未だに豊島園は豊島区にある、もしくは豊島区にあったと思っている方がいらっしゃるかと思う。
西武池袋線も池袋駅、椎名町駅、東長崎駅までは豊島区で、そこから先は練馬区、保谷駅はギリギリ練馬区だろうか、それ以西は西東京市、埼玉県となっていく。
豊島園駅は西武池袋線の池袋駅から直通運転しているし、大江戸線の豊島園駅もあるので、そちらかのアクセスも可能である。
さて、豊島園が豊島区に無いのに、何で同じ豊島という名前なのか?
という問題である。
それぞれの名前の由来を追ってみたいと思います。
豊島とは何か?
これは豊島氏という豪族が関係しているだろう。
※リンクを貼るが、特に飛ぶ必要はない。
ウィキペディアによると、
豊島氏は源満仲(みつなか)の次男、源頼親(よりちか)に始まり、頼親流宇野氏の支流。
摂津国豊島郡を本貫とした。
丈部姓有道氏一族で、武蔵七党の児玉氏の支流。
とある。
源氏と平氏の源氏側で、摂津国、今の大阪の豊島郡(てしまぐん)という所の出なので、豊島氏ということなのでしょうか?
なんで、東京の豊島園や豊島区の話なのに、いきなり大阪に行ってしまった。
豊島氏は南武蔵(現在の東京都周辺)に勢力を持っていた武家。
平姓秩父氏の一族で、武蔵国豊嶋郡から発展し、平安時代から室町時代にかけて、国人系領主として存続した。
東京に戻ってきました。
読み進めていくと、
東京都北区豊島が豊島氏発祥の地とされている。
とある。
豊島区も練馬区も関係なくて北区だと?
北区に豊島という地名が残っている。
さて、練馬区の豊島園と、豊島区はどうつながっていくのだろうか。
室町時代に築城された練馬城の城址を中心に造園されたのが豊島園(としまえん)である。
豊島氏は現在の北区豊島から、石神井川を遡って現在の練馬区向山(こうやま)に練馬城を築城して、そこを治めていた。
なので、豊島園の名前の由来は練馬城を治めていた豊島氏から、豊島園なのです。
豊島園が開園したのは1926年、大正15年であり昭和元年でもあるが、開園したのは大正15年中であり、当時の地名は東京府北豊島郡上練馬村で、現在の地名では東京都練馬区向山(こうやま)三丁目にあたる。
さて、豊島園の名前の由来が解ったところで、豊島区の名前の由来である。
区名の由来が、北豊島郡に属する4つの町が合併して東京市に編入されるときに、郡名から採用された。
ただし、豊島区の前身である4町は北豊島郡の一部に過ぎず、元々の北豊島郡は現在の北区から練馬区に掛けての広い範囲を含んでいた。
本来の郡の中心地は板橋町であったが、東京市に隣接する4町が郡内で最も発展した地域であったため、4町の区域が「豊島区」と名付けられた。
…
東京市による最初の区名原案は「池袋区」であったが、「目白区」を経て、陳情などから「豊島区」となった。
陳情の内容まではウィキペディアにはなかったが、北豊島郡の名前を残したかったとからしいが、どうなんだろうか。
北区豊島の地に移り住んだから豊島氏を名乗り、石神井川を遡って練馬の地に練馬城を築城し、武蔵国豊島郡を治めたので、11世紀の功績により豊島郡を賜った。
文明9年(1477年)、江古田沼袋の戦いで、豊島泰経(やすつね)が太田道灌に破れる。
明治11年(1878年)、郡区町村編制法によって、東京府北豊島郡は15区制を取るが、まだ豊島区は存在していない。
大正15年(1926年)、豊島園が開園する。
昭和7年(1932年)、東京市に編入する際、長崎町、巣鴨町、西巣鴨町、高田町の4町で豊島区となる。
昭和22年(1947年)4月1日22区制となり、同年8月1日、練馬区が板橋区から分離独立をして、23区制となる。
今年が練馬区独立75周年ということになります。
つまり、豊島園は豊島氏が練馬城を築城したその場所を使って造園したから豊島園と名付けられ、豊島区は豊島郡(北豊島郡・南豊島郡・東豊島郡)の名前を残すために豊島区とした。
ここまでは良しとしよう。
さて、摂津国豊島郡はどういうことなのだろうか?
新たな謎が残ってしまった。
氏ってのは、源とか藤原とか、血族グループの名称で、姓ってのは氏に与えられた称号という。
みんなが同じ氏を名乗ったらややこしくなるから、役職や地名から新しい氏を使って、ややこしさを回避したわけですよね。
この豊島氏の家紋が「三つ柏」であるのだが、家の家紋は「丸に三つ柏」である。大正15年(1926年)、豊島園が開園する。
昭和7年(1932年)、東京市に編入する際、長崎町、巣鴨町、西巣鴨町、高田町の4町で豊島区となる。
昭和22年(1947年)4月1日22区制となり、同年8月1日、練馬区が板橋区から分離独立をして、23区制となる。
今年が練馬区独立75周年ということになります。
つまり、豊島園は豊島氏が練馬城を築城したその場所を使って造園したから豊島園と名付けられ、豊島区は豊島郡(北豊島郡・南豊島郡・東豊島郡)の名前を残すために豊島区とした。
ここまでは良しとしよう。
さて、摂津国豊島郡はどういうことなのだろうか?
新たな謎が残ってしまった。
氏ってのは、源とか藤原とか、血族グループの名称で、姓ってのは氏に与えられた称号という。
みんなが同じ氏を名乗ったらややこしくなるから、役職や地名から新しい氏を使って、ややこしさを回避したわけですよね。
家紋も、家系に対してのものだが、全く同じものでは混乱するからとか、本家とは異なるものにしたいからと丸を付けたりなど形を変えたりして現在に至る。
父方は宮城県の出身で、自身の名字を晒すことは出来ないのですが、源でも豊島でもありませんが、義経が奥州に行ったときに、多少は関係しているようである。
さて、話しを戻して、豊島氏の名前の由来はどの豊島なのだろうか。
1) 源頼義からなので、摂津国豊島郡(てしまぐん)由来なのか、
2) 移り住んだとされる現在の北区豊島由来なのか、
3) 武蔵国の南を治め豊島郡を賜ったことが由来なのか、
謎は深まるばかりである。
豊島郡という名前だけでも、摂津国、武蔵国、出羽国と3つの国にあり、豊島という地名に至っては、数えたらキリがない。
豊島という地名の由来として、たくさんの島(または洲)から数が多いという意味で十島、豊島となって、東京都北区豊島も、東京湾がそういう土地柄であったことが由来であり、これは摂津国豊島郡、つまり大阪においても大阪湾で同じことが言える。
豊島、豊洲、豊中、これらは兄弟や従兄弟のような関係なのかもしれません。
氏は混乱を避けるために役職や地名で名乗るものであった。
なので、地名由来で豊島氏となるのは理解出来るが、どの段階で豊島氏となったのか。
また、豊島氏が治めたから、地名を豊島にするという逆のパターンも当然考えられるわけで、人名由来の地名があって然りなのです。
謎は深まってしまったが、豊島園は豊島区にはなくて、練馬区にある。
それぞれの名前の由来は、豊島園は豊島氏から、豊島区は豊島郡からと、大本を辿れば同じなのかもしれないが、勘違いしないでねって感じですかね。
ただ、もう豊島園は存在しないが、豊島園駅は西武豊島線と、都営大江戸線の駅として存在はしており、豊島園という地名は存在していないので、ハリーポッターが始まれば、もしかしたら駅名も変わってしまうのかもしれないが、一応西武としての発表としては改称はないものとなっているが、なんとも言えないだろう。
初デートや、成人式が豊島園だった練馬区民はたくさんいることだろう。
私もその内の一人であるが、豊島園について語れる人間が居なくなってしまう可能性もあるのが少し寂しい。
ではでは