自分の性格上、調べ始めたらとことんやってしまう。
練馬区って、政令指定都市の特別区なんだけれども、今年の2022年8月1日は独立75周年という節目の年でもあるんです。
独立?ってなんだよ。
練馬区は日本じゃないのか?
などと思われた方もいるかもしれませんが、日本の東京都の練馬区です。
じゃあ、どこから独立したんだよって話しで、板橋区から独立しました。
へっ?
なんで?
と思うかもしれませんが、練馬区は昔々75年前は板橋区だったのです。
板橋区から独立した理由はいろいろとあるかと思うが、75年も前の話しで、交通の便も良くない、鉄道の本数も少なかった時代、現練馬区の一部は板橋区役所が遠かったんです。
区役所に行くってのは、今の時代でも、一日仕事になることもあるでしょう。
ましてや本人じゃなきゃダメとか、当然日本語が読み書きできて、必要書類が揃ってなければダメで、家長しか持つことを許されないであろう実印とかも必要になる。
つまり、75年以上前、家長が丸一日使って、冠婚葬祭の手続きにと板橋区役所を訪れる必要があった。
確かに、練馬出張所や石神井出張所というものもあるにはあるのだが、結局そこで出来ることは限られていた。
また、板橋区は工業が主体、練馬区は農業が主体でしたので、そんなことも関係していたのかもしれません。
もしかしたら農民一揆に近いのかもしれませんね。
そんなこんなで、練馬区は板橋区から独立して、晴れて練馬区となったのが75年前の8月1日なのです。
2022-75=1947
47-25=22
1947年(昭和22年)の話しで、時代が時代だっただけに、GHQが練馬区独立?と結構やばい感じで受け止められていたようです。
さて、なんで小学校を調べようかと思ったかというと、とある写真に触発されたからに他なりません。
現地に行って写真を撮ってきたいところではあるが、この門柱。
北豊島郡上練馬村練馬尋常高等小学校
とあります。
私の琴線に触れてしまいました。
これがきっかけとなり、練馬区内の小学校の名前の変化と、ざっくりとした年表などで、リストを作ろうと計画する。
幸いなことに、今はデジタルアーカイブがある。
ここの練馬区教育史 第一巻で、いろいろと出てきそうだといくと、第六巻まである。
しかもページ数が700ページ超え。
さて、第一巻の目次から、前のウィンドウでページを指定して、なんて面倒な作業となる。
せめて、開いたウィンドウ内でも前後以外にページ直接指定出来るようにして欲しいところです。
とりあえず、ある程度完成したら、別の記事にでもしてデータを貼り付けましょうかね。
ではでは