あまり良い話題かと言われると、そうでもないのでダメだと感じた人は閉じてください。
私自身は記憶にないのですが、テレビで行方不明者のニュースが出ると、この話題が持ち上がることがあります。
それは、私自身が行方不明になった話しです。
ブログでも書いた記憶があるのだが、改めて書いてみようかと思う。
私の生まれたのは豊島区の南長崎というところで、最寄り駅は東長崎というよりも椎名町の方が近かったのと、伯母の家があるので、かなりの頻度で遊びにいったりしている。
私は幼少期から喘息という持病があるということで、郊外の土地に家を建てることにします。
板橋区の成増あたりか、練馬区の大泉あたりを検討していて、大泉に一軒家を建てて、引っ越すこととなる。
近所の酒屋さんで母と買い物をしていたらしいのですが、ふと周りをみると私の姿がない。
2~3歳くらいの私は、1人で何処かへ行ってしまって、行方不明になったそうです。
近隣の人たちによる目撃証言やら捜索により、道のりにして500mくらい、大人が歩いて10~15分くらいの場所で発見されたそうです。
この話しの時代背景として、関越自動車道がまだ工事中だったということで、関越自動車道の開通が1971年なので、1968年生まれの私は多く見積もっても3歳ということになり、年子の弟がいるので、母親は弟をおんぶ紐でおぶっていたことだろう。
また、椎名町の伯母の家に行くときも、椎名町駅を降りると、勝手に伯母の家に向かって歩いていっていたらしく、当時の椎名町駅は北口にしか出入り口がなく、南長崎に行くには必ず踏切を渡る必要があり、年端も行かぬ乳幼児が1人で行くようなものではありません。
まさに「はじめてのおつかい」、「Old Enough!」よりも過酷な状態だったかと思う。
当時は子どもはコミュニティが守るという傾向にあったようにも思えます。
今では、知らない人に声を掛けられたら防犯ブザーのピンを抜くように教育されていますからね。
さて、こんなことを思い出したのは、山梨キャンプ場女児失踪事件の報道が連日取り上げられて、それを母が目にするからに他ならない。
ではでは