まずは、読んでない人はここを読まないで欲しいので閉じて欲しい。
また、読んだ人であっても、私と同意見、同解釈になるかは別問題ではあるので、その辺はご了承願いたい。
ここからを読む人は、上下巻を一読、いや何度も読み返している人達に向けて書いているので、せめて二度三度は読み返して欲しい。
さて、ネタバレ&考察という名の独自解釈や持論に移る。
時代背景と登場人物
時代背景は、第1話の土管がある空き地から解るとおり、これからインフラが良くなっていく高度経済成長を表しているかのように見えるのだが、タイトルは「2016年のきみへ」となっている。
高度経済成長と2016年は噛み合わない。
この噛み合わなさは、一体なんだろうか。
土管の中に隠れて、お腹をすかしているいるハッピー星人に、給食の残りのパンを与えるしずかちゃん、というところから”おはなし”はスタートする?
土管としずかちゃんということで、これはドラえもんという古典のフォーマットを使って、何かを伝えようとしていることは明白であるし、これはある程度漫画を読んでいれば、誰でもたどり着ける結論だろう。
また、しずかちゃんの容姿はどちらかというと、ちびまるこちゃんのまるちゃんを現代風にアレンジしたようにも取れるし、タコピーはおばけのQ太郎のO次郎といったところである。
しずかちゃん、まりなちゃん、東くん、この3人が暮らしているのは北海道であるから、2016年の北海道、季節は夏に、何があったのかを調べてみる。
2016年8月に、4つの台風が立て続けに北海道に接近、上陸し、氾濫した河川は少なくとも93を数え、1400棟以上の建物が水に浸かり、1万1千人が避難し、死者・行方不明者6名とされる自然災害があった。
この状況を踏まえると、2016年なのに空き地に土管が存在していることに、それほど違和感がなくなっていく。
死者・行方不明者は、まりなちゃんと当てはまるし、地質調査というところにも合点がいくことだろう。
タコピーとは何者なのか?
地球外知的?生命体である。
地球へ来た目的はハッピーを広めるためとされる。
宇宙からの侵略者なのかまでは良くわからないが、記憶を消されている。
このようなモチーフは、日本においては竹取物語の平安時代から、ドラゴンボールの平成時代まで、数々の作品群があることだろう。
しかし、時代は令和であるが、火星人=タコ型、という刷り込みからか、宇宙人=タコ型というモチーフとなっているのだろうか。
竹取物語にしても、ドラゴンボールにしても、宇宙人であるが人型である。
タコ型であること、簡単に描けることが重要であることは、既に読み終わった読者であれば解るだろう。
この作品を難解にさせているもの
漫画を読み慣れていない人には、なかなか難しいのかもしれないところがある。
それは、時間を巻き戻すことで、時間軸や世界線が増えて、混乱の元となっているからであろう。
というわけで、時間軸や世界線のおさらいをしてみる。
とりあえず、サブタイトルを並べてみる。
第 1話 2016年のきみへ
第 2話 タコピーの冒険
第 3話 まりなキングダム
第 4話 タコピーの救済
第 5話 東くんの介在
第 6話 東くんの冒険
第 7話 タコピーの告解
第 8話 しずかキングダム
第 9話 大丈夫
第10話 東くんの救済
第11話 日本縦断しずかツアー
第12話 2022年のきみへ
第13話 タコピーの原罪
第14話 直樹くんの介在
第15話 しずかちゃん
第16話 2016年のきみたちへ
この順番の通りに読むことになるのだが、漫画であるから読み直しは可能である。
たった16話、たった単行本にして上下巻の2巻であるから、何度でも読み返すべきなのだろう。
似たようなタイトルがちらほらあり、同じような言葉で締めていたりする。
時間軸ということで、「2016年のきみへ」、「2022年のきみへ」、「2016年のきみたちへ」というタイトルについて、当然読者はこの順番で読んだはずであるが、実際にタコピーが辿る時間軸及び世界線は、読者とはズレていることに気がつく必要がある。
タコピーが辿った時間軸及び世界線は、
「2022年のきみへ」、「2016年のきみへ」、「2016年の君たちへ」の順番である。
これが理解ると、この漫画が読みやすくなることでしょう。
なぜ、混乱してまっているかというと、
「2016年のきみへ」からの世界線では、しずかちゃんが自殺して、しずかちゃんが死なないようにと、ハッピーカメラで何度も時間の巻き戻しをするが、タコピーがハッピーカメラでまりなちゃんを殴打して殺してしまったことで、ハッピーカメラは壊れてしまい、タコピーはへんしんパレットを使いまりなちゃんになって、…、「日本縦断しずかツアー」までが一区切りである。
「日本縦断しずかツアー」の最後では、石を手にするしずかちゃんに対して、殺されそうになるのはタコピーという、先の構図とはキャラが違うが、展開としては同じであり、この先も続いているのだろうという錯覚に陥っているかと思われ、この後の「2022年へのきみへ」となるため、この唐突な場面転換が理解しにくいかと思う。
例えば、単にタコピーが眠りについて、起きたら2022年だったというふうにも取れなくもないが、「2022年へのきみへ」は実際にあった出来事であって、これは記憶を失っていたタコピーが、しずかちゃんに石で殴打されたことによって記憶が蘇って、「2022年へのきみへ」が先にあった出来事であるということだということです。
つまり、タコピーが最初に地球にやってきたのは2022年であり、そこで出会ったのは高校生のまりなちゃんであり、しずかちゃんを殺すために掟を破ってハッピー星に戻り、大ハッピー時計を使って2016年に行くも、掟を破ったために記憶を消されてしまっていた。ということになり、これまでの話の辻褄があります。
原罪とは何か
さて、タイトルにある原罪とは何だろうか。
これは、アダムとイブが禁断の果実を食べてしまうこと。
これによってアダムとイブは楽園を追われることとなります。
これは、ハッピー星の掟を破ってハッピー星に帰ることがゆるされなくなったタコピーと解釈出来ますね。
また、禁断の果実とは、エデンに生えていた善悪の知識の木になる果実であり、これ以外にも、生命の木というものもあって、生命の木になる果実を食べると、神と等しき永遠の命を得られるとも言われています。
第13話で、漫画のタイトルでもあり、サブタイトルでもある「タコピーの原罪」である。
タコピーは、しずかちゃん、まりなちゃん、東くん、いずれも悪い子であるが、優しいという善悪を知ってしまったことで、死を以てして、ハッピーカメラを起動して、2016年のきみたちが幸せになる方法を選んでしまうことに繋がっていくのです。
とりあえず、ここまでで、この漫画の正しいと思われる流れが理解出来たかと思う。
ここからは、考察、深読み、深掘りしていく。
名は体を表す?
さて、名は体を表すのかということで、登場人物の名前について考察してみたいと思う。
しずかちゃんこと、久世しずか。
久世が地名由来だとすると、京都府久世郡や岡山県真庭市久世といったところが出てくるので、地名由来の可能性は充分にある。
しかし、久世家は村上源氏の流れを組むことからも、源氏であり、すなわち源(みなもと)しずかであり、やはりドラえもんのしずかちゃんから名前を拝借したと考えるのが良いだろう。
当然だが、言葉の響きだけを捉えれば、くせーしずか、つまり臭いしずかとも取れる。
また、漢字を見ると、永久の久に、世界の世であるから、自分の意志ではなく、何度も時間を巻き戻されるしずかちゃんを暗示させる。
まりなちゃんこと、雲母坂まりな。
雲母坂(きららざか)も地名由来だとすると、京都市左京区修学院の修学院離宮の脇から比叡山へ続く古道であることから、由緒ある名前であることが解り、久世と同じ京都ということになるのは偶然というよりも必然と考えるべきだろう。
まりなは、聖母マリアのマリアを想像出来なくもないが、マリーナ、つまりヨットなどが停泊する小さな港やそれを取り巻く水域と考えるほうがしっくりくるかもしれない。
それは、タコピーが最初にまともな会話する地球人は「まりな」であることも、港の意味合いを暗示させる。
東くんこと、東直樹。
地球人3人のメインキャラのなかで、唯一、東くんだけが下の名前が判明するのが遅い。
下巻で明かされることから、作品の中盤から後半であり、兄の潤也よりも後なのである。
これは、東くんが、直樹くんと、呼ばれ方が変わることで変化していく様を読み取れるからでもある。
苗字の東は「あずま」であり、京都より東を指すことは、先のメインキャラの苗字が京都に由来していることからも解る。
また、北海道から東京に行く計画を立てることからも、東京を暗示しているとも言える。
更に、あずまは、吾妻、我妻、とも考えられ、吾は吾輩(わがはい)からも解るように、我と同じであり、自分の妻という解釈も出来る。
兄の潤也は、彼女とおそろいの指輪を買う。
弟の直樹は、「久世さんには僕しかいないんだ」と発言は、告白とも取れなくもない。
まぁ、別に妻に娶ることを考えているかというと、そこまでの考えはないかもしれないが、この説を否定するまでには至らないだろう。
タコピーこと、んうえいぬkf、ゴミクソ。
ハッピー星においては、んうえいぬkfとタコピーママも呼んでいる。
2022年のまりなちゃんには最初は「ごみくそ」と呼ばれるも、最後には「タコピー」と付けてあげればよかったとなります。
2016年に大ハッピー時計でタイムスリップするも、しずかちゃんに「タコピー」と名付けられるので、なんだかんだまりなちゃんと同じ発想なのは、偶然なのか、必然なのか。
しずかちゃんのペットであるチャッピーからも解るように、しずかちゃんの命名センスというか命名規則の統一性が見られるので、高校生のまりなちゃんの深層心理にすでにタコピーの存在があったのかもしれません。
さて、タコピーもごみくそも仮名でしかなく、本名であるんうえいぬkfを如何に解釈するのか。
まず、ハッピー星での発音は解らないが、ドラえもんのオマージュであるタコピーが、日本語に翻訳できない訳はないので、おそらく日本語に変換する際に、ひががなとアルファベットが混在してしまっていることから、何らかの暗号化や符号化がなされたと考えるに至る。
これは、チャッピーをアルファベット表記すると、chappyであり、チャッピーの死を回避できれば、つまりc(死)を取り除ければ、happyになることからも推察出来る。
まずは、語尾のkfはひらがなに出来なかったことから、逆にかなをローマ字表記にする。
ん=n
う=u
え=e
い=i
ぬ=nu
当然、kfはそのままで、
nueinukf
となるが、このままでは解らない。
ここで、2022年から2016年へのタイムスリップから、2022-2016=6、つまり一番原始的な暗号であるシーザー暗号を使って、6文字後ろへずらしてみると、
n⇒n o p q r s⇒t
u⇒u v w x y z a⇒a
e⇒e f g h i j k⇒k
i⇒i j k l m n o⇒o
n⇒n o p q r s t⇒t
u⇒u v w x y z a⇒a
k⇒k l m n o p q⇒q
f⇒f g h i j k l⇒l
と変換され、
takotaql
となり、takoはタコであることは明白であり、残りのtaqlはなんだろうか、ということになる。
TaQLと解釈すると、Table Query Language。
つまり、「(暗号解読)表へ問い合わせる言語」となって、暗号の正当性が示されているものと解釈出来る。
また、takoはタコピー、つまりtakopに置き換えると、
takoptaqlとなり、新たな解釈として、
tako PTA QLと分けると、
PTAは、Parent(保護者)、Teacher(教師)、Association(組織)の略、
QLとは、タイムマシンにお願いの原題である、Quantum Leapと考えることが出来る。
つまり、「PTAはタコだから、タイムマシンにお願い」とも解釈出来、
更に付け加えると、タコピーはまりなちゃんから「ごみくそ」と呼ばれていたことからも、
「PTAはごみくそだから、タイムマシンにお願い」とも解釈出来る。
どちらにしても、意味が変わらずに合致することからも、解釈の正当性が示される。
平成から令和のいじめとは?
第1話で、あからさまにいじめられていることが、ランドセル、習字、机と示されているのに、そこに触れようとしない先生がいる。
昭和の代表であるドラえもんの世界であれば、宿題を忘れたのび太が廊下に立たされるお決まりのシーンのはずだが、令和の代表であるタコピーの世界の先生は廊下に立たせるなんてことはしないで、粛々と授業を進めている。
これは、ドラえもんとは時代が違うことを示唆しているのであって、それは同時にドラえもんでは解決出来ない新しい時代の問題だということでもある。
しずかちゃんの母親は夜のお仕事をしており、家庭を顧みない、本当かどうかは定かではないが給食費未納とまりなちゃんは言っている。
しずかちゃんの父親は離婚したとはいえ娘であるしずかを蔑ろに扱う。
まりなちゃんの父親はキャバクラにお金を使い、母親に暴言を吐く。
母親はアルコール依存症になって娘へ虐待をする。
東くんの母親は、兄弟の出来不出来で、兄だけに愛情を注いでいるかのように、東くん自身は感じているが、母の本心はどうなのだろうかは定かではないが、東くんからみたら見捨てられたと感じたことだろう。
と、保護者側の面々も錚々たるメンバーではあるが、給食費未納、毒親といったワードも、現在ではめずらしくもなんともないのである。
これは、ドラえもんを読んでいた世代が親となっているということで、ドラえもんの世界では先生や親のいうことは絶対であった世界である。
のび太の同級生においては、物理的な暴力の象徴であるジャイアン、経済的な暴力の象徴であるスネ夫、学力格差の象徴である出来杉、結構ブラックな性格で描かれることもあるしずか、出来の良い妹を持つ劣等感の塊であるドラえもん、という位置づけくらいは解釈出来るであろうか。
これらを読んでいた世代が大人になったということなのだろう。
また、しずかちゃんの家が登場するが、ドラえもんの世界というよりも、板塀の平屋の庭のあるサザエさんの世界と感じる。
ドラえもん、サザエさんに共通することは、どちらも国民的アニメであり、作者が死しても”おはなし”が続いているということで、タコピーが死んでも、3人の”おはなし”は続くということを暗示しているのではなかろうか。
散りばめられた伏線?
さて、細かな伏線をいくつか拾っていこうかと思う。
””、ダブルクォーテーションで括られたワードの意味
タコピーの言動において、””で括られたワードは、まだ理解していない言葉や概念に対して使われることが多い。
「2016年のきみへ」では、
しずかちゃんは”よねんせい”という種類の”にんげん”らしいっピ
”いきもの”にくわしくて
やさしくて
逆に言えば、””で括られていないものは理解しているとも言える。
「2022年のきみへ」では、
”小4のとき”に
”久世しずか”を
”殺す”?ってすれば、
からも、この時点ではこれらのワードの意味を理解していないことが解り、「2022年のきみへ」が先の出来事で、「2016年のきみへ」が後の出来事であることが明確に示されているので、””は大事な伏線だったということです。
次に読むときには気をつけて読んでみましょう。
ハッピー道具について、
ハッピーカメラは「意外と重い」
これは、2016年のしずかちゃんの発言である。
ハッピーカメラは鈍器として、まりなちゃんの命を奪うことになる。
他にも、
仲直りリボンは、しずかちゃんの首吊りに使われ、
思い出ボックスは、まりなちゃんの死体隠蔽に使われ、
パタパタつばさは、東くんの逃亡に使われ、
へんしんパレットは、しずかちゃんの逃亡に使われたと推測される。
とにかく、ハッピー道具の使われ方は、ドラえもんの道具よろしく、間違った使われ方をするのであるが、救いは利用用途がよく解らなかった「土星ウサギの(声が出る)ボールペン」である。
お花ピンについては、使ったのはタコピー自身であり、正しい使われ方なのですが、なぜか黒い花びらで描写されているのにも関わらず、人間には白いどくだみの花に見える。
しずかちゃんとまりなちゃんが仲直りするきっかけとなる「どくだみ」である。
「2016年のきみへ」では、「なんで頭にどくだみつけてんの?」
「2016年のきみたちへ」では、「今日はどくだみつけてないんだ」
という変化が見える。
「どくだみ」がキーワードなのだろうかと考えてみると、葉や茎を摘んだり傷つけると、悪臭を放つことでも有名であることから、しずかちゃんが臭いというのとリンクする。
花ということで、タコピーの名前について、もう一つの説が浮かび上がる。
nueinukfは、ローマ字入力する際のキーであり、実はかな入力であるという暗号なのでは?ということ。
これは生活保護を受けているとされるしずかちゃんの家であってもパソコンがあったり、スマートフォンを使っていることからも、この日本ならではの暗号も考えるべきであろう。
n=み
u=な
e=い
i=に
n=み
u=な
k=の
f=は
となり、
みないにみなのは
となるが、これでは通じないので、花という単語があるとして、アナグラムとして考えると、
身に花の忌み名
とそれらしい文章が出来上がる。
花は、ここでは「どくだみ」のことである。
忌み名とは、生前の名前である。
自分自身にどくだみという忌み名があったということを示唆しているのだろうか。
傷つけられると異臭を放つが、十薬とも言われる「どくだみ」。
チャッピーはタコピーを甘噛しているシーンが第1話で描写されているのも、犬がどくだみを食べてしまうというのはよくある出来事のようです。
そう考えると、チャッピーが生き残ったであろう最終的な世界線には、チャッピーの中にタコピーの細胞なり思想なりが、少しなりとも残っていたのかもしれない。
ハッピー道具以外にも、重要なアイテムとかを書いておく。
東京へ行ったしずかちゃんはタコピーを殴り、そのあと山下家(お父さんの再婚した家族)である2人の女児が行方不明になっていることから、しずかちゃんの犯行であろうことは、読みにくいが新聞の記事から読み解くことが出来る。
また、東京から北海道への帰還方法についても、ハッピー道具を使って生き延びながら帰ってきたことが解る。
チャッピーの首輪、
まりなちゃんママの指輪、
東潤也の彼女とのおそろいの指輪、
と、これらのリンクも幸せだった頃の象徴として扱われている。
まりなちゃんママのタッセル
何かしらの聖書やキリスト教的な意味があるのだろうか。
タッセルは何かの比喩、つまり似たような形のもの、リング状のものに下にふさふさした飾りがついているをもの想像すると、前方後円墳、正月の玄関に飾る注連縄飾り、仏具の数珠、…、タコピーの形、…
だとすると、聖書やキリスト教ではどうにも理解できない、まりなちゃんパパの「だからタッセルってなんだよ」ということに繋がっており、まりなちゃんママの拠り所が聖書やキリスト教ではない別の、例えば日本古来の宗教、神道、仏教に傾いているように思われる。
東くんんの眼鏡の変化は、心境や環境の変化の現れである。
また、お母さんのパンケーキは美味しくなかったことが潤也の言葉で判明するも、東くん自身は食べたいと憧れていたものであり、お母さんに呆れられて出されたパンケーキを食すも、トイレで吐いてしまう。
パンでもケーキでもあるようでないようでなのだが、パンケーキというネーミングである。
これがドラえもんの世界であったならば、ホットケーキとなって、意味がないのである。
つまり、まったく同じものでも、時代とともに名前が変化するということでもある。
「2016年のきみへ」でしずかちゃんがタコピーに与えたのはパン、
「2022年のきみへ」でまりなちゃんがタコピーに与えたのはケーキ(おにぎりかも)、
この2つを考えると、「パンがなければケーキをたべればいいじゃない」というマリーアントワネットの言葉を思い浮かべてしまうし、貧富の格差と見ることも出来る。
更に最終話で、まりなちゃんが母親にケーキを買っていくというくだりがあるので、ここもリンクしているが、おにぎりだとするとリンクはされていないことになる。
別れの挨拶に着目すると、
しずかちゃんの「また明日(あした)」が続いていたのに、「ばいばい」となったこと。
東くんの「バイバイ、タコピー」に対するタコピーの「バイバイ東くん」
タコピーがハッピー力を使って最後のハッピーカメラを使ってしずかちゃんと別れるときは「さようなら」と変化していること。
この世界では、「バイバイ」が今生の別れとして使われて、「さようなら」は最後ではないことことを示唆している。
時を戻すこと多い作品であるためか、どうも時間軸がおかしい描写の謎は残っている。
2016年には青函連絡船はない。
しかし、しっかりと描画されているのである。
逆に、新幹線の描写はないのである。
青函連絡船がワイドで描かれる前のコマは、震えている海鳥のズームからである。
この2つのキーワードから連想されるのは「津軽海峡・冬景色」であろうか。
♬私もひとり連絡船に乗り、凍えそうな鴎(かもめ)みつめ泣いていました。
ということなのだろうか。
まぁ、季節は冬じゃなくて夏で、鴎は渡り鳥で冬に日本にはいるが、夏に居るのは海猫の可能性が高いだろうか。
津軽海峡・冬景色の発売日は1977年1月1日。
青函連絡船の最後の航行は1988年9月18日。
2016年とはかけ離れすぎている。
北海道から本州へは、青函トンネルを使って鉄道で移動したと考えるのが良さそうではある。
もっと言えば、パタパタつばさで人間は運べないことは触れられているので、へんしんパレットで鳥にでもなって移動したと考えると、鴎だか海猫と考えるとのも有りなのかもしれない。
ただ、東くんの計画は船と新幹線なのである。
これは、まだまだ東くんの計画には不備があるという完璧ではないということなのだろう。
子どもは親の真似をする。
まりなちゃんは両親のマネをしていてありとあらゆる暴力をしずかちゃんに仕掛けてくる。
東くんは潤也から言われて、母親とそっくりだと気が付かされることになる。
まりなちゃんの家族から学んだタコピーはタコピーママに対して同じ行動を取ってしまう。
ハッピーになったとされるしずかちゃんとまりなちゃんも、
まりなちゃんはお母さんにケーキを買ってあげるのに対して、
しずかちゃんはアイシャドーを買うという。
上巻の表紙、下巻の表紙を見ると、しずかちゃん、まりなちゃん、ともに泣き顔であるが、それぞれの小指にはピンク色のリボンが結ばれており、これは仲直りリボンである。
仲直りリボンが、本の帯で隠されていることは、こんな道具が無くても仲直りは出来るんだということだと考えたい。
しずかちゃんは、ハッピー道具を魔法と言っていることから、ドラえもんに対する新しいアンサーとしての「まじかるタルるートくん」、タイムリープを題材とした「魔法少女まどかマギカ」といった作品も関係していることだろう。
何が言いたいかというと、サザエさん(1946年~)世代、ドラえもん(1969年~)世代、タルるートくん(1988年~)世代、まどマギ(2011年~)世代、いずれの篩(ふるい)に引っかからずに外れ落ちてしまった現代のいじめ問題が、タコピー世代なのだろう。
ハッピーとはなんだろうか、
幸せとはなんだろうか、
糸合わせとか、死合わせとか、
糸合わせは、仲直りリボンなのだろうか、
では死合わせは?
タコピーという字面を見ると、死という漢字との親和性が非常に高いことが解る。
では、タコピーから死を取り除いたら何が残るのだろうか。
これは、表紙のロゴがよくわかりやすい。
コとピの半濁点であるから、コ○、困るということだろうか。
それとも半濁点はタコピーで描かれているから、残るのはコ、つまり子であり、個であるのか。
おはなしはハッピーを生むとは?
さて、純粋無垢なタコピーの一貫した言動は、「おはなしはハッピーを生む」である。
おはなし、ここでは一方通行ではなく、双方向、つまり対話をすることで、お互いがお互いを解り合って、ハッピーを生む。と解釈する。
しかし、当のタコピー自身も、しずかちゃんやまりなちゃんのおはなしをよく聞いておらず、タコピーの描く理想の形だけを追求して押し付けてしまうという一方的な独りよがりであった。
それを気づかせてくれたのは、兄とのわだかまりが消え、しずかちゃんに母の姿を重ねることもなくなった、成長した東くんの言動から、善悪を超越した「3人で遊べて楽しかった」ということを理解したことによるところが大きいだろうが、これで東くんとのお別れなのである。
タコピーはしずかちゃんと過ごせた日々が楽しかったが、このままではダメだということを悟り、ハッピー力を使って、最後の時間の巻き戻しをして、しずかちゃんに「さようなら」をいう。
しずかちゃんとまりなちゃんに関しては、タコピーの似顔絵から、共通の認識が芽生え、同類憐れむではないが、お互いが似た者同士であることに気がついて、最終的には相手のことを悪く言ったとしても、それはお互いがお互いを理解した上での対話の延長線上なので、そこには善悪を超越した新しい関係になった。と思いたい。
2022年のきみたちへ
この第15話のタイトルは、なにもしずかちゃん、まりなちゃん、東くんだけに与えたものではない。
つまり、タコピーの原罪を読んでいる読者に向けてもいると考える。
2022年というとコロナ禍ということもあるが、舞台は北海道なので、ロシアが近いし、ウクライナ問題が対岸の火事とは行かない状態である。
物理的な暴力
言論的な暴力
経済的な暴力
格差的な暴力
人種的な暴力
性差的な暴力
宗教的な暴力
などなど、一口に暴力と言っても、いろいろな形を変えて存在し、当然だがこれ以外にも存在すると考えて良いだろう。
そんな時代を、生きて行くのである。
タコピーの原罪で学んだことは、対話が大事であり、お互いがお互いの立場を理解することで、新しい一歩を踏み出せ、ハッピーになっていくのであろう。
また、”おはなし”は、対話という意味だけにとどまらず、漫画でも、小説でも、歴史書でも、フィクションでも、ノンフィクションでも、ファンタジーでも、”おはなし”であるから、いろいろと読んで、様々な目線に立って、見聞を広めるということも大事なのだろう。
これにて、私の持論を終わる。
乱文、長文にして失礼いたしました。
ではでは