久々の地元の話題です。
大泉学園駅北口の階段の横にある通称道路名表示版の写真です。
さて、地元民の方々、大泉学園駅を利用されている方々、この表示版を見て、違和感を感じませんか?
Oizumigakuen-dori St.
のdoriとStは同じ意味だろとか、そういうことではありません。
私は1歳半から大泉に住んでおり、かれこれ50年以上住んでいることになりますので、その辺の経緯を説明しながら解説していきます。
この表示版を見る限り、左から右へと矢印になっていますが、実際は右から左への一方通行なのです。
このように、一方通行なのに、なぜか右だけが尖っている通称道路名標示板となっています。
アンダーパスに入る手前のお仏壇の長谷川の前にある通称道路名標示板は両方が尖っているので、一方通行ではないことが解ります。
これが違和感の正体でした。
一般的な道路標識であれば国土交通省の管轄ですが、練馬区の区章があることから、おそらく練馬区が設置したものだと推測される。
ではいつ頃設置されたのだろうか。
年代が不明だが、おそらく開業当時の1924年頃の東大泉駅だったころと思われる写真。
1956年の大泉学園駅になってからの写真。
まだボンネットバスの時代です。
1966年の写真では、なぜか駅の看板がありません。
1975年の写真では、道路が舗装され、道路標識も設置されています。
駅手前には指定方向外進行禁止の標識があるので右へしか曲がれません。
大泉学園駅北口行のバスは左奥に車庫があるため、左へ曲がって、車庫でUターンしていました。
タクシーは、西武バスの車庫の出入り口の駅側ではない方を先頭に、妙円寺の方へ連なっていました。
1980年の写真です。
富士銀行は現在のみずほ銀行ですので、位置関係が解るかと思います。
プラザトキワと富士銀行の間の道を入ると西友があり、ホットドックや焼きそばといったジャンクフードの屋外スタンドがありました。
1978年頃にマクドナルドが出来ます。
1983年の写真で、現在の橋上駅舎と旧駅舎が写っています。
マクドナルドのところに進入禁止の標識があることからも、画面左から右への一方通行になっていることが確認出来ます。
1987年の写真では標示板は確認出来ません。
1997年のこの写真では標示板は確認出来ません。
同じく1997年の写真で、駅側からの撮影ですが、標示板を確認出来ます。
2010年の写真でも、標示板を確認出来ます。
これら練馬区の写真アーカイブから、標示板が設置されたのは、1997年以前ということが確定します。
また、奥から手前方向への一方通行だった時期は、写真を見る限り1975年以前からであり、アンダーパス化された2001年9月までの間である必要があります。
アンダーパス化以前の1997年には設置されていた[大泉学園通り>の標示板は正しかったのですが、アンダーパス化以降、一方通行の向きが変わってしまったのに、このままの状態で残されているということになります。
つまり、設置したときは正しかったので、その段階で国土交通省か練馬区がやらかしたわけではないということです。
やらかしたすれば、一方通行が逆転したときに気が付かなかったことになるのですが、他の道路標識は問題ないので、国土交通省側の問題ではなく、通称道路名標示板であることから練馬区側の問題ということになるのでしょうか。
さて、この標示板の問題にいつ気がつくのか、気がついたとしても正すかはまた別の問題ですし、アンダーパス化してから10年もそのままなので、歴史遺産としてそのままでいいのではなかろうか。
アンダーパス化以降の大泉学園駅しか知らない世代には、一方通行が逆向きだったことなど知る良しもありませんが、この標示板の違和感に気がついて、この記事にたどり着ければ理由が判明することでしょう。
ではでは