午後のひとときに、ちょっと気になったことを書いてみる。
日本語と英語は真逆の言語とか言われる。
何が真逆かというと、語順がほとんど真逆に現れる。
という話しではなくて、あるモノの名前が、日本語の名前を直訳、または英語の名前を直訳すると、意味が食い違ってしまうという不思議なモノを見つけたという話しです。
皆さん、弓矢はご存知かと思います。
日本では和弓、洋弓といったように、日本の弓と海外の弓とを区別していたりしますね。
矢尻という名称がありますが、矢のどこの部分を指すか解りますか?
正解は矢の尖った先です。
英語に訳すと、arrowheadとなり、これを直訳すると矢頭となってしまいます。
というか、むしろこれの方をイメージした人の方が多いのではないでしょうか。
先っちょなのに、尻とはこれ如何に、という感じですね。
ネットで矢尻がなぜ尻なのかを調べると、
矢筒に入れた状態では、矢尻は文字通り下側に来るので、日本では矢筒に入れたから矢尻と呼ぶという説が濃厚らしい。
本当にそうなのだろうか。
矢尻を別の漢字で表すと鏃となる。
金偏に族。
石偏に族で䃚、石で出来た矢尻の意味があるが、訓読みはない。
材質によって、偏を変えるということは漢字では結構あって、
ご飯を入れる茶碗、汁物を入れるお椀、といったように旁は同じで偏が石偏だったり、木偏だったりという使い分けが成されている。
他の族を含む漢字を並べてみると、
口偏に族で嗾、嗾(けしか)ける、嗾(そそのか)す。
草冠に族で蔟、蔟(まぶし)、蔟(あつ)まる、蔟(むら)がる、
竹冠に族で簇、簇(あつ)まる、簇(むら)がる、
三水に族で㵀、訓読みはない。
病垂に族で瘯、皮膚病の一種だが訓読みはない。
鳥に族で鷟、鸑鷟(がくさく)は想像上の鳥で、鳳凰の一種で、訓読みはない。
さて、鏃や䃚だが、石偏があることからも、石器時代、狩猟時代から使われていたと考えて良いだろう。
そう考えると、中国から漢字を借用する以前から、和語として「やじり」という名前は存在していた可能性もゼロとは言い難い。
道具の進化として、いきなり弓矢が現れることはない。
弓矢は、矢を出来るだけ正確に遠くに飛ばすことを目的に作られたと考える。
そうすると、矢のようなものを単体の道具としていた槍があったと考えるほうが自然である。
槍は、手に持ちやすく、投げやすく、刺さりやすいことを目的に作られた道具だと考える。
最初は木の枝を削った単純なものだったことだろう。
木を削るというと、木よりも硬い道具が必要で、鉄などがなかった時代であれば、石だろう。
木を削っただけの槍ではどうにも歯が立たないとなると、
先端に尖った石を付けるという発想になるだろうし、
威力を増すための道具として弓を発明するに至るだろう。
このように書いたのは、日本だけの話しではなくて、文明が始まるタイミングでは、どこでも同じようなことがあったと考えられるわけです。
つまり、鏃は、別に矢の先頭に付ける目的で作られたわけでもなく、単に尖った道具として存在していたと考える。
木の棒に括り付けたら、槍になったり、矢になったりしたと考えるわけです。
なんで、こんな考えに至ったかというと、そもそも矢の読みが、音読みは「シ」、訓読みがやだからで、古代中国や現代の中国でも「や」とは読んでいなかったのではなかろうか。
鏃、槍、矢、全部が「や」から始まる名前という共通点から、これらには何かしらの繋がりがあって然りと考えるに至ったのです。
やじり、やり、や、これらは、漢字を借用するようになって、中国語との整合性で、やじりは鏃、やりは槍、やは矢と既に意味がある漢字と合わせただけです。
まぁ、あくまでも私の持論なので、信じるか信じないかはあなた次第です。
ではでは