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「自信なさげ」は誤用?

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午後のひとときに、日本語の誤用について、いろいろと考えてみる。


つい最近のことなのだが、「自信なさげ」は誤用ということを知った。
正しくは「自信なげ」らしい。

だけどね。
50年生きてきた会話の中で、「自信なさげ」は聞いたことも使ったこともあるけれど、「自信なげ」なんて聞いたことがない。

つまり、利用頻度が格段に少ないのだ。

日本語にもいろいろあって、誤用だと解っていても、利用者が圧倒的多数になってしまうと、そちらが優勢となってしまい、元に戻そうという方向へはなかなか進まないのだ。

昨今問題視されている「ら抜き言葉」。
これも利用者が増えた要因として、「ら」が入る場合と入らない場合の使い分けが出来た上で、入らない方の意味での利用頻度が高いということだと思われる。

例えば、
「食べられる」と「食べれる」

「食べられる」は、捕食者側も考えられるし、非捕食者側も考えられ、どちらの意味なのかは前後の文脈に依存する。

私はカレーライスを食べられる。
カレーライスは私に食べられる。

「食べれる」は、自分が食べる側に限定された上で、食材を食べることが可能という意味となる。

私はカレーライスを食べれる。

といったように可能という意味で、それ以外の意味は少ない。


さて、本題に移る。

お邪魔させていただきます。
お邪魔せていただきます。

お暇(いとま)させていただきます。
お暇(いとま)せていただきます。

などの名詞+サ変のパターン。
これに関しては、後者はありえないですね。

似たようなものだが、名詞ではないパターンで、

帰らさせていただきます。
帰らせていただきます。

「帰る」は動詞なので、一般的には後者が正しく、前者は誤用とされるのだろうが、私は前者は誤用とは言い切れないと考えています。

「帰らせる」は「帰る」の未然形である「帰ら」に使役の助動詞「せる」を付けたもの。

他動的なのか、自動的なのか、という違いがあると考える。

教師は生徒を帰らさせた。
教師は生徒を帰らせた。

生徒は教師に帰らされた。
生徒は教師に帰られた。

とならべてみると、状況や印象が少しずつ違っているかと思います。

他の例もあげます。

書かなさすぎる。
書かなすぎる。
書かなさそう。
書かなそう。

知らなさすぎる。
知らなすぎる。
知らなさそう。
知らなそう。

読まなさすぎる。
読まなすぎる。
読まなさそう。
読まなそう。

などの動詞の未然形のパターン。

頼りなさすぎる。
頼りなすぎる。
頼りなさそう。
頼りなそう。

情けなさすぎる。
情けなすぎる。
情けなさそう。
情けなそう。

などの形容詞の終止形のパターン

いろいろなパターンが考えられて、どれが正しいく、どれが誤用なのだろうか。


もう一つ、切り口があって、
自信なさげは、自信なさ気なのではないか。

「自信」という名詞に対して、「ある」という動詞を付けたと考えると、
「自信」という名詞に対して、「ない」という形容詞を付けたと考える。

これは、言い切りの形で最後が
ウ段なので動詞、
イ段なので形容詞、
と分類される。

動詞と形容詞が対というのは考えにくい。

つまり、「自信あり気」と「自信なさ気」という、どちらも名詞・形容動詞としての対なのではなかろうか。

まぁ、いろいろと考えてみたが、言葉は生き物なので、例外はあるだろう。

ただ、今後「自信なさげ」を使うような機会があったとして、「自信なげ」として使うかどうかは、今の所解らない。


ではでは

 

 


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