名前を付けるというのは、いろいろと考えなければならないことが、沢山あるよという話しです。
私は西武池袋線の椎名町駅の近くで生まれて、大泉学園駅を最寄り駅として住み着いて、かれこれ50年。
西武池袋沿線で育ったといっても過言ではない。
このブログでも池袋線沿線の記事はたくさん書いたかと思う。
今回は高野台について書いてみようかと思う。
高野台というと、西武池袋線において、一番新しい駅であり、平成6年12月に開業した。
さて、歴史を紐解いていく。
現在の高野台付近はというと、武蔵国豊島郡石神井村谷原(やわら)在家。
谷和原村が石神井村に明治の大合併で吸収されて、石神井村大字谷原(やわら)となる。
昭和7年に東京市に編入され、旧谷原(やわら)村は板橋区石神井谷原(やわら)町となる。
昭和8年に、東大泉駅は大泉学園駅に、石神井駅は石神井公園駅に、貫井駅は富士見台駅にそれぞれ改称する。
昭和24年に練馬区が板橋区から独立し、石神井の冠称が取れ、練馬区谷原(わわら)町となる。
昭和40年に住居表示が施行され、目白通りを挟んでそれぞれ境界整理が行われ、北は谷原(やはら)、南は高野台といった現在に至る。
高野台との命名は、高野台三丁目にある谷原山(こくげんさん)妙楽院長命寺があり、長命寺の通称としえ東高野山(ひがしこうやさん)から、高野台(こうやだい)にしようとするも、足立区に高野町(こうやちょう)があったため、訓読みにして高野台(たかのだい)となった。
平成6年、西武池袋線の石神井公園駅と富士見台駅の間に新駅が出来ることとなり、仮称として東石神井駅となっていたが、地名の高野台駅とするにも、今度は西武国分寺線にある鷹の台(たかのだい)駅が存在することから、練馬の冠称を付けて、練馬高野台(ねりまたかのだい)駅となった。
奇しくも、足立区高野町は、昭和51年の住居表示で消滅しており、平成20年に舎人ライナーの高野(こうや)駅が誕生するのである
。
歴史に「もしも」はないが、
もし、高野台(こうやだい)という地名で問題がなければ、高野台(こうやだい)駅であったわけで、高野台(こうやだい)がダメで高野台(たかのだい)としたのに、足立区高野町(こうやちょう)は消滅しているのに、高野台(たかのだい)として慣れ親しんでしまっているので、いまさら高野台(こうやだい)に改称するわけにもいかない。
高野台に新駅が出来ると歓喜に溢れたことだろうが、またもや駅名の読みが西武国分寺線の鷹の台(たかのだい)駅とダブってしまい、練馬高野台(ねりまたかのだい)駅とするのだが、その14年後、消滅した足立区高野町(こうやちょう)には高野(こうや)駅が出来てしまう。
これを悲劇と呼ばずして何と呼ぶのだろうか。
名前を決めるというのは、大事なことで、未来を左右しかねないことでもある。
2021年3月13日、西武鉄道はダイヤ改正とともに、
西武遊園地駅を多摩湖駅に42年ぶりに戻す。
遊園地西駅を西武ゆうえんち駅に改称する。
名は体を表す、名は体を現す、というが、
私は名は体を表すべきだと考えているが、混乱するのは出来るだけ避けたいとも考えている。
としまえんが閉園して、豊島園駅はこのままで良いのかとか、大江戸線が延伸して、土支田駅(仮称)、大泉町駅(仮称)、大泉学園町駅(仮称)が、このままの駅名となると、西武池袋線の大泉学園駅はかなり紛らわしい駅名となってしまいかねない。
前にも書いたかもしれないが、
大泉町と名乗っているが、もともとは北大泉町であり、もともとは橋戸村だったわけで、彼らは特に暗い過去があるわけでもないのに、以前の名前にあった「きた」や「はし」という名前を忌み嫌って、それらを排除し、あたかも大泉エリアの中心地であるかのような大泉町としたのだ。
そういう経緯があって、大泉には東大泉、西大泉、南大泉はあるが、北大泉が無いのだ。
大泉学園町や大泉学園通りなんて名称があるが、学園都市計画は失敗に終わったわけで、それでも大泉学園というのも、名は体を表していないので問題ではある。
大泉町には大泉JCT、大泉ICが出来たので、結果的には良かったのかもしれないが、北大泉町がそのままだったとしても、そこは大泉JCTとなっただろうし、北大泉JCTとはならなかっただろう。
つまり、結果的には大泉町としたことと、大泉JCT、大泉ICの整合性が取れたのであって、結果論に過ぎない。
大江戸線の延伸計画も土地買収は進んでいるだろうが、駅名はまだ仮称である。
これも前に書いたけど、大江戸線という江戸という名前を採用したわけだから、江戸時代ないし、それ以前の由緒正しき地名や名所を駅名にするのがベストだろう。
土支田駅(仮称)は、土支田村だから問題なし、大泉町駅(仮称)は、橋戸村だったから橋戸駅、大泉学園町駅(仮称)は小榑村だったから小榑駅が、大江戸線の駅名としては良いのではなかろうか。
地名や駅名、良いイメージを持ってもらいたいというのは解らなくもないが、
過去の名前を捨てされるというのは、
その名前に対して誇りを持てないということでもあって、
体を表さなくなったならまだしも、闇雲に改称するものでもないな。
と持論を述べてみる。
ではでは
大泉エリアに3つも駅が出来るとなると、住みたい街にも2021で2位にランクインしているし、また人口が増えるのだろうか。
自分の幼少期を過ごした大泉の面影は、かなり消えつつあるのも寂しいものである。
大泉に住んでいるものとしては、大江戸線の新駅が最終的に大泉町駅、大泉学園町駅となったとしても、混乱は少ないだろう。
あまり関係ないかもしれないが、群馬県に大泉町という地名がある。
群馬県邑楽郡大泉町、18.03km2、人口41653人。
東京都練馬区大泉町、2.078km2、人口22321人。
東京都練馬区大泉学園町、3.211km2、人口34557人。
東京都練馬区東大泉、2.429km2、人口34413人。
東京都練馬区南大泉、1.799km2、人口26867人。
東京都練馬区西大泉、1.816km2、人口21971人。
東京都練馬区西大泉町、0.002km2、人口31人。
大泉エリア全部で、11.33km2、人口140160人。
こちらは、東武小泉線という路線に、東小泉駅、小泉町駅、西小泉駅の3駅と、東武仙石川岸線の新小泉駅(廃駅)があったらしい。
地名や学校名を見ると、こちらにある名前とほぼほぼ同じなので、ある意味姉妹都市関係を結んで、何かしらのイベントをしてもいいかもしれませんね。
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