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学校教育ボカロ導入で熱い議論勃発

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学校教育ボカロ導入で熱い議論勃発
初音ミクに代表されるボーカロイドを学校教育の現場に導入するケースが増えており、ネット上で話題になって..........≪続きを読む≫


元記事

いろいろありますね。

ちょっと前に、中学の体育の授業に柔道とダンスが必修になったなんてことがあって、柔道経験者の立場から、いろいろ考えていたことがあった。

まず、教える側の体育教師は、必ずしも柔道経験者ではないこと。

柔道を指導するのであれば、最低でも有段者であるべきである。

また、年間何コマ柔道に費やせるのか。

柔道の基本は、受け身である。

おそらく、一年間受け身ばかりの授業をすることになるだろう。

おそらくそれでは、授業として意味がないだろう。

すると、乱取りとか技を練習するのだが、これこそ素人の指導では危険がつきまとうのである。

私個人の結論では、柔道の授業の必修化は、やったとしても3年間みっちりやるなら意味があり、最初の一年は受け身ばかりになるだろうということでした。

よくよく考えて欲しいのだが、中学の部活で柔道部があるととして、週に何日部活があるかわからないが、部員が多ければ、先輩の目も光っているから、指導員が1名でもどうにか出来るだろう。


さて、ボーカロイドが音楽の授業の1カリキュラムになったとして、それにどれくらいのコマ数を割り当てるのか。

私が中学の時の音楽の授業といえば、合唱、合唱くらいで、音楽の学問的なものはやらなかったと思う。

合奏といっても、アルトリコーダーくらいの楽器しかやりませんでした。

学校行事として、合唱コンクールというものをやっていた関係でか、クラスに1人はピアノが達者な人がいるようにクラス配置されていたと思う。

そこで、自由曲と課題曲とあって、課題曲は学年で同じ楽曲を競い、自由曲はクラス単位で作詞、作曲をする。

その作詞、作曲においても、ピアノが出来る人がほとんどやってしまうために、他の音楽素人は、やれても作詞に携わっるだけである。


さて、ボーカロイドがカリキュラムに入ったとすると、あくまでも道具としてのボーカロイドを学び、その道具を使って作詞作曲をしてみましょうとなるのだろう。

大学のカリキュラムだと、ボーカロイドの理論的なところまでやるんだろうか。

どちらにしても、授業であるからには、1人で作詞作曲まですべてやれるようになるまでやらなければ意味が無いと思うわけです。

また、柔道同様に教師の問題もありますよね。

音楽教師は音楽の理論的な事や、楽器を扱うことには長けているだろうが、ボーカロイドで作詞作曲をした経験が未熟では意味がないわけです。

やるとすれば、音楽の先生とパソコンの先生でのコラボの授業なら面白いかもしれないな。


小学校や中学校の義務教育は、自分の得意な事、苦手なこと、好きなこと、嫌いなことなど、自分を客観的に分析するためのピースを探すようなものだと思うわけです。

苦手なものを克服したり、嫌いなものを好きになったりというのもあるのだろうが、それはそれだよね。


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