3.11、東日本大震災から9年が経ちました。
黙祷
コロナウイルスの脅威に世界がさらされています。
本来ならば、歴史を忘れないために式典を行うのですが、状況が状況なため人が集まるのは避けるのが賢明だと判断します。
何度もブログでは書いているかとは思うが、
私の父の実家は宮城県気仙沼市魚町です。
実家は3.11の津波で瓦礫の山となり、更地になっております。
2014年6月に帰省したときに撮った自宅跡地から気仙沼湾への風景。
本当に海がすぐ近くなのです。
しかし、この風景も既に存在しないようです。
幅312m、高さ海抜4.88mの防潮堤が出来ています。
22cmほど高い5.1mの防潮堤になってしまい、作り直すの揉めているようです。
建てると決めたのであれば、建てるしかないのだろう。
実際にそこに住む人、そこで働く人が納得しているのであれば、例え昔そこに実家があったとしても、既にそこには住んで居ない部外者には、その議論に参加することも出来ません。
実家のお隣さんは、とある有名な政治家さんの実家ですが、彼の実家の旅館の2階の窓からも海は見えないだろう。
それで納得したのだろうか。
もし、次に実家の跡地に行くことになったら、お隣の旅館に泊まることいなるだろう。
防潮堤を見ないことには、まともに話しも出来ないだろうしね。
ではでは
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あれから9年
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