台風19号の爪痕。
関東の停電は、台風15号のときよりも復旧が随分と速かった。
何かしらの対策がなされたのか、
それとも15号によって復旧しいた際に、
老朽化したものが新設されたことで、
被害が少なかったのだろうか?
東北電力、東京電力、中部電力、北陸電力、関西電力、中国電力での最大停電件数は52万件と言われている。
被害は、15号よりも多かった。
停電もさることながら、台風19号は河川の氾濫、決壊といった水害も大きかった。
地元では、多摩川、荒川、入間川などが氾濫して、避難する住民もいた。
長野県では千曲川が決壊し、床上浸水5556棟、床下浸水3510棟、浸水の範囲は750haと言われています。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
日本は災害の多い国である。
これは世界各国で見ても類を見ないだろう。
地震大国、台風大国、
日本列島のどこに居ても、この2つの脅威からは逃れられない。
にも関わらず、世界第3位の経済大国である。
他の国に比べれば日本は防災大国であろう。
しかし、これは比較する意味は無いと考える。
比較したところで、日本が地震大国、台風大国、つまり災害大国である事実は変わらないのだ。
つまり、各国と比べても意味がないので、もっともっと防災に力を入れるべきだろう。
日本が地震大国、台風大国になったのは、今に始まったことではない。
日本が建国される以前から、それほど変化は無いと考える。
何が言いたいかというと、昔の人が付けた地名を調べろということ。
特に、字名、小名を調べることは重要である。
今回千曲川の決壊で被害があった地域。
長野市豊野町
豊かな野、ポジティブなイメージが先行します。
そういうポジティブイメージが先行する地名って怪しいと思ってしまう。
平成17年に、長野市が豊野町を編入した。
昭和30年に、豊野村から豊野町へ町制施行。
昭和29年に、鳥居村・神郷村が合併し、豊野村が発足。
鳥居村、神郷村、どっちにしても神がかっていますね。
鳥居村
明治22年に、浅野村・大倉村・蟹沢村・川谷村の一部が合併し、鳥居村を発足。
神郷村
明治22年に、南郷村・石村・豊野村の一部が合併し、神郷村を発足。
明治の大合併、昭和の大合併を経ていて、
元々の村々が大字や小名として残っているのでしょう。
県道368号線と北陸新幹線が交差する辺り、
善光寺平洪水水位標によると、
1742年 寛保2年8月2日
1896年 明治29年7月21日
1868年 明治元年5月23日
1847年 弘化4年4月12日
1910年 明治43年8月11日
1911年 明治44年8月5日
と過去の水害がとても解りやすく記録されている。
こんだけ水害が多ければ、神にも縋りたくなるでしょう。
神社やお寺をいくつも建立したことでしょう。
鳥居村、神郷村、と名付けたい気持ちもわからなくもない。
地名をポジティブなイメージにしたい勢力、
昔の地名を残したい勢力、
昔の地名の読みは残すけど漢字を変えるなどして曖昧模糊にしたい勢力、
まぁいろいろと派閥や妥協案があることだろう。
それにしても、情報社会の現代において、忽然と情報が消える、消される、ということはなかろう。
大字小布施、大字赤沼、大字津野、
まだまだ河川沿いには大字の地名が残っている。
こちらは小布施村や長沼村だった地域で、長沼村であれば室町時代の長沼城まで簡単に遡れるだろう。
小布施、赤沼、長沼、津野、
沼、津などのサンズイの付く地名は水害が多いかは別として水が関係していることは確か。
沼が無いのに沼と付ける理由はない。
つまり、もともとは、沼だったのだろう。
鳥居、神郷、小布施とあると、信仰心が強いのか、信仰心が強く成らざるを得ない状況にあったのか。
学がない私でも容易に想像が出来るヒントがある。
生きていくには水、飲料水、農業用水、は絶対的に必要である。
水量はある程度必要だが、多すぎると災害である。
そのための治水は必要だろう。
ただ、どこまでやれば自然に打ち勝てるのかというと、それはきりが無い。
千年に一度の大洪水に標準を合わせるのか、
百年に一度の大洪水に標準を合わせるのか、
十年に一度の大洪水に標準を合わせるのか、
ここに、戌の満水から約280年の洪水の歴史があるわけで、その地に住む住民が考えなければならない問題だろうから、外野があまり口出しをするものでもない。
しかし、市の予算、県の予算、国の予算となっていくと、関わりがないとは言えなくなってくる難しい問題でもある。
さて、地元の話しでは、日野橋の一部が陥没して、通行止めになっている。
自分が八王子勤務時代に車でよく通った場所である。
練馬区から八王子市に行くには、いくつかの線路を踏切を通るのか、アンダーパスを通るのか、高架の下をくぐるのか、最後の難関は多摩川を渡らなくてはならない。
どの橋を渡るのがベストなのか、いろいろと模索した。
行きは20号を通って、石田大橋を渡ることが多かった。
帰りは北上して、多摩大橋を渡ることが多かった。
石田大橋と多摩大橋の間に、日野橋、立日橋、中央線の多摩川橋梁がある。
日野橋も立日橋も、立川駅へと続く道なので、混んでいるイメージがあるので、通勤には避けていた。
とは言っても、顧客がそのあたりであったならば、通ることになる。
日野橋が通行止めになったということは、立日橋、石田大橋、多摩大橋のいずれかで迂回する他ないだろう。
そう言えば、豊野の南にも日野駅があったな。
日野という地名になにかしらあるのだろうか。
ではでは
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台風19号の爪痕
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