東日本大震災から8年が経ちました。
正午に黙祷をささげます。
黙祷
去年の12月に叔父(父の妹の夫)が亡くなり、葬儀で宮城の従兄弟夫妻が訪れ、3.11の話しを聞けた。
従兄弟夫妻は、どちらも警察官で、海中探索と、遺体の身元確認や受け渡しなどをしていたそうです。
百聞は一見にしかずというけれど、まさにその通りなのだろう。
百のお話しを伺っても、それを上回るような想像を絶するものだったと推測するほかない。
幸いなのか、2011年当時、既にインターネットは定着し、個々が簡単に情報を発信できる環境は整っていたので、瞬く間に津波の動画が世界に発信された。
しかし、身内の安否確認はなかなか進まなかった。
私は50年生きてきた。
東京に住んでいて、
1995年1月17日の阪神淡路大地震は、対岸の火事のように感じていた。
1995年3月20日の地下鉄サリン事件は、対岸の火事ではなかった。
新潟に母方の親戚が居ることで、
2004年10月23日の新潟中越地震
2007年7月16日の新潟中越沖地震
2011年3月12日の新潟・長野県県境地震
は対岸の火事ではなかった。
私も含めて、人間は身勝手な生き物である。
身内や知り合いが絡んでいると、自分のことのように思えるのだが、そうでなければ忘れがちである。
3.11は規模が大きすぎた。
翌日の新潟・長野県境地震はM6.7、最大震度6強だったが、完全に3.11にかき消され、埋もれてしまっている。
3.11で義援金が集まっても、新潟・長野県境地震には義援金は少なかった。
こういうことも報道されるべきだと思うのだが、なかなか難しいのかもしれない。
ではでは