芸術というものに対して、誰が作った、誰が描いた、誰が書いたということは、あまり重要ではないと私は考えている。
確かに、その人となりや生い立ちなどのバックグラウンドを知った上で芸術作品に触れるというのは感慨深いものなのかもしれないが、だからどうしたというスタンスなのである。
例えば、ミロのビーナスが美しいと思え、それに対して、誰が作ったかとかは、その作品の持つ芸術性についてはどうでもいいことではないのだろうか?
自分の基準で、美しいと思えたのか否か、好きなのか嫌いなのか、こんな単純なものでいいと思う。
他人が美しいと感じているものに、自分が美しいと感じなくても構わないのに、そこに気が付けない自分に非があると思い込み、自分の感覚をねじ曲げてまで美しいとすることはない。
他人の評価なんかくそくらえだ。
同調する必要もないし、押し付ける必要もない。
例えば、彫刻や絵画の贋作に対してはどうなのか。
例え贋作であったとしても、自分の感性に響くもので、自分の手元に置いておきたくて、懐が許すのであれば購入することもやぶさかではない。
つまり、作者が誰だから好き嫌いということではなく、その現物の持つ普遍的なポテンシャルに惚れたわけでしょ。
ならば、音楽についてはどうなのか。
確かに彫刻や絵画とは比べるのは難しいかもしれない。
作曲家がその作品を書いた時代の楽器を揃えて、オーケーストラをしなけえばならないのだろうか?
これは難しいだろう。
指揮者がいて、その指揮者が解釈したイメージを演奏者に伝え、演奏する。
私は譜面が読めないから、当然誰かがイメージしたものを間接的に聴くしか術はない。
会場で聴いたのか、レコードやCDで聴いたのかというのでも、受け取るものは違うだろう。
それでも、この楽曲が好きだとか嫌いだとか美しいだとかの判断は自分自身の感性で良いはずである。
好きだとか美しいと感じたのであれば、その楽曲の作者はとりあえずおいといて、指揮者や演奏者を称えた上で、その指揮者や演奏者がイメージする楽曲と、その楽曲を作った作者を称えればよいだけだろう。
ただ、これを彫刻や絵画などに当てはめると、その作品を撮影した写真をみて、写真家を称えているような感じがして、不本意ではある。
さて、芸術作品にはタイトルが付けられていたりする。
このタイトルというものは、他人と情報を共有する上で必要となるものである。
タイトルを知った上で作品に対峙するのか。
作品に対峙した上でタイトルを知るのか。
その作品の形態にもよるだろう。
例えば、小説などでは、読み手はどうしてもタイトルが先になってしまうことだろう。
しかし作り手側は必ずしもタイトルが先というわけではない。
確固たるタイトルと、読み手側に伝えたいメッセージがあって、作品を作り始めたとしても、ある程度出来上がってみたら、タイトルに違和感があって変更するなんてこともあるだろう。
小説のタイトルは小説家や編纂者が作り上げた小説の入り口であり、小説の一部であり、すべてである場合もあるのだろう。
彫刻や絵画のタイトルは作者自身が付けることもあるが、あとからついてくるものもある。
どちらかと言えば、作品に対峙した後に知ることのほうが多いだろう。
さて、音楽はどうなのだろうか。
例えば、ベートーヴェン 交響曲第九番として楽曲を聴くのか、喜びの歌として楽曲を聴くのか、ということで感じ取るものは違うのかもしれないが、そこは個々の感受性の違いだと考える。
私としては、タイトルを知る前に作品に対峙して、タイトルを知った上で対峙するというという二重の楽しみ方も出来るし、ファーストインプレッションはタイトルよりも作品自身から得たいと思っている。
さて、今回のゴーストライターの件は、マスコミやコメンテーターがいろいろ言っているようだが、出来上がった作品の良し悪しが、それらによって変化するのだろうか?
例えば、ある芸術作品について、共通の認識がタイトルと作者とかであったとして、それについて話をしたとする。
ある人から、この作品はこういう解釈があるよねということを聞いて、自分がその解釈を踏まえて作品に対峙することで新たな発見をすることはあるかとは思う。
しかしゴーストライターだと知ったからといって、その作品の持つポテンシャルが変化するものでもないと思うわけで、もしそんな事で作品自体に嫌悪感を覚え、最初に持っていた自分自身の評価を下げてしまうとすれば、それは芸術の捉え方が間違っているのだと私は考えている。
また、仮に作者が好きだとして、この作者の作品全てを諸手を挙げて賛美するものではないだろう。
巨匠の駄作もあれば、凡人の傑作もある。
作品有りきで、自分の好きな作品を調べてみたら、結果的に作者が同じだったとかその程度でいいんじゃないのかな?
場合によっては作品や作風は好きだけど、作者の人生観とか生き様とかそういうのは嫌いでもいいというか、そんなことはどうでもいいんだよね。
もっと純粋に作品と対峙すればいいだけでしょ。
作品の良し悪しで、作者を称えたり貶したりは、同じ域に達した芸術家同士ならあっても、鑑賞する側がすることではないだろう。
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私の芸術論
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