昔から考えていたこと何だけど…
自然(ナチュラルとかネイチャーとか、どっちの意味かが解りにくくなるだろうが、読み解いてほしい)と不自然という対義語がある。
自然物と人工物という対義語もある。
人間が関わってしまうと、それは不自然なのだろうか、人間も自然の一部と考えると自然なのだろうか。
火葬をみて、骨壷に亡骸を入れ、埋葬する。
年が年なので、こういうことをする機会が増えた。
そんなとき、変な妄想をしてしまう。
骨壷に入れた骨は、壷の中であって、土に帰ることはない。
昨今の子どもたちは骨が弱くなったなどと言われる。
これは、もしかして、地球上のカルシウムの大部分が骨壷の中にあって、生きている人間を含めた生物の体に入る確率が減ったのではないだろうか。
なら、土葬が良いのかと言われると、それはそれで別の問題がすぐに露呈する。
例えば、世界が水不足だということも、骨壷の問題と同じことなのではないだろうか。
飲料水メーカーが、水をボトルに入れて販売する。
ボトル=骨壷だと容易にリンクして、同じ考えがよぎる。
地球上で生物が生息するということは、混沌と秩序を繰り返すことが重要なのではないだろうか。
人類は特に、ものを区別して偏りを作りがちである。
骨壷にしかり、ウォーターボトルしかり、
これも自然の摂理だとすると、混沌を作るには偏りも必要なことなのかもしれない。
最初から混沌としていれば、自然に偏りが出来るわけでもない。
一般的に偏りを作るには時間がかかるものだ。
生物は能動的に偏りを作るために生まれてきたのかもしれないなぁ。などと思ってしまうのであった。
ではでは
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ちょっと考えてしまったこと
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