彼岸の入りとか、彼岸の明けとか、中日(ちゅうにち:ドラゴンズではありません)とか、勘違いしていました。
彼岸には、春の彼岸と秋の彼岸があり、一般的にお彼岸と言った場合、春の彼岸を指しますが、TPOに合わせて変化する。
秋口になって、彼岸が近くなってきたねと言って、春の彼岸を指しているわけではない。
私が勘違いしていたのは、春分の日や秋分の日が中日で、その前後3日の7日間をお彼岸と言うのだと思っていたこと。
現代ではそうだというだけで、過去もそうだったとは限らないということ。
春分点を含む日を春分の日、秋分点を含む日を秋分の日としている。
これは天文学的観測によるものですね。
二十四節気には、二種類の考え方があって、定気法と平気法の2つの求め方がある。
平気法は、時間を24分割して二十四節気を定める。恒気法、時間分割法とも呼ばれる。
定気法は、黄道の空間を24分割して二十四節気を定める。空間分割法とも呼ばれる。
これによって、2つの日付が出来てしまうわけで、どちらを採用しているか、国や時代や使用している暦によって様々ということ。
現行暦のグレゴリオ暦では、定気法と等しく
春分の日は3月21日頃
秋分の日は9月23日頃
平気法は、日本では天保暦以前に使われており、
春分の日は3月23日頃
秋分の日は9月21日頃
といったところ。
春 彼 岸 の 日 付 | 宣明暦 貞享暦 | 宝暦暦 寛政暦 | 天保暦 ~ | 秋 彼 岸 の 日 付 | |||
貞観4 ~ 宝暦4 | 宝暦5 ~ 天保14 | 天保15 ~ | |||||
0862/02/04 ~ | 1755/02/11 ~ | 1844/02/18 ~ | |||||
3/16 | 春 の 彼 岸 | 9/18 | |||||
3/17 | 9/19 | ||||||
3/18 | 春 の 彼 岸 | 秋 の 彼 岸 | 9/20 | ||||
3/19 | 平 | 平 | 9/21 | ||||
3/20 | ↓ | 秋 の 彼 岸 | 9/22 | ||||
3/21 | 秋 の 彼 岸 | 9/23 | |||||
3/22 | 9/24 | ||||||
3/23 | 平 | 平 | 9/25 | ||||
3/24 | ↓ | 9/26 | |||||
3/25 | 春 の 彼 岸 | 9/27 | |||||
3/26 | 9/28 | ||||||
3/27 | 9/29 | ||||||
3/28 | 9/30 | ||||||
3/29 | 10/1 | ||||||
3/30 | 10/2 | ||||||
3/31 | 10/3 |
この表の通りだとするならば、
宣明暦(せんみょうれき)、貞享暦(じょうきょうれき)の頃は、今の暦だとずいぶんと後にズレているし、春の彼岸は7日も遅い。
おそらく単純計算、平気法の春分や秋分から2日後が彼岸の入りという計算になるだろうか。
宝暦暦(ほうりゃくれき)、寛政暦(かんせいれき)の頃は、正確性が増してきているのが解ります。
単純計算、春の彼岸は平気法の前7日間、秋の彼岸は平気法の後7日間ってことなのだろうか。
春分や秋分が中日というのは、天保暦以降の、天保15年頃、1844年頃からの考え方ということですかね。
春分の日や秋分の日が制定されたのが1948年ですから、中日の考えになってから104年。
そこから更に70年で2018年ということです。
しかし、なぜ7日間だったんだろうか。
今なら、丁度1週間であるけど、当時西暦を利用していない中国や日本で7日間に意味があったのだろうか。
ではでは