成人に成られた方々、おめでとうございます。
この一文をみると、成人とは人に成るということなんだけど、20歳で人に成るのか?ということに多少なりとも疑問を抱く。
日本では20歳以上と20歳未満とは、成年と未成年という天と地の差があるのだろう。
成人の日で成人になるわけではないのだ。
成人の日は、学年で行事なので、20歳も、19歳も居る。
大学生も、社会人も、無職も居るだろうし、二浪すれば高校生もいる。
まぁ、行事と考えれば、お祭りというくくりもできなくもない。
着慣れていないスーツを着る人も居る。
はたまた紋付袴や振袖を着る人は、多少は古風で律儀な性格なんだろう。
キンキラなド派手な衣装を着る人もいるだろう。
お祭り騒ぎをしたい人もいれば、厳粛にしたい人もいる。
成人するということは、社会の一員になるということだと仮定する。
社会に出るということは、理不尽なことも受け入れなければならないという環境下に置かれる。
なぜ理不尽だと思うのかといえば、個々に正しいというもの、価値観が違うからである。
正しさというのは、個々の価値観によって違っていて然り。
なので、意見が違って当たり前なのだが、理不尽さにムカつくこと、キレることもあるだろう。
会社であれば、上司がいて、上司が決めたことは絶対であったりする。
たとえ、それが自分にとって正しいこと、正解でなくとも、ということを受け入れなければならない。
自分が認められ、ある程度の発言が許されるようになってきたとしても、喧々囂々と議論できるかは、会社にもよる。
あまりにも、この部分で折り合いがつかなければ、会社を辞めることもやぶさかではないだろう。
社会とはなんだ、会社とはなんだ、
この訳のわからない漢字2文字に翻弄されたりする。
社とはやしろ、つまり入れもの、器
会とはあつまり
会社も社会も、もともとは中国語で、約130年前までは、意味も今ほどの違いはなかった。
日本の先人、おそらくは福沢諭吉あたりが、
会社=company
社会=society
と結び付けたにすぎない。
こんなものに振り回される必要はない。
大人になるということは、おとなしくなることではない。
ややこしい世界で生きることが大人なのだ。
とりあえず、おめでとう。
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成人の日
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